「脱北して彼女と幸せに暮らしたい」
彼女が送ってくれたジャージと携帯用トイレットペーパー(当時、北朝鮮にはトイレットペーパーがなかった)、『自己催眠』や『自己催眠と他者催眠』という日本語の書籍など、さまざまな航空郵便物を前にして考え込んでいた。
「政府の監視が厳しいはずだが、手紙と小包が届いたみたいだね。気をつけて」
心配しながら私はそう言った。瞑想から覚めた彼は、日本にいる彼女との縁を語った。
隣合わせの家に住んでいた申誠と彼女の両親は兄弟のように暮らしていたという。互いに幼い申誠と娘を未来の「婿」「嫁」にしようと冗談交じりで約束した。
申誠と彼女はいつも手を取り合う仲だったという。北送在日同胞が皆そうであるように、申誠の家族も朝鮮総連の虚偽宣伝にだまされて北朝鮮に渡った。当時、日本人だった彼は、3年で戻ることができると思っていた。成人して結婚する年齢になった今、日本と北朝鮮で互いを待っているという。
厳しい監視の中でも彼女の手紙は海を渡り、日本に送る手紙には脱北、監視、愛という言葉は一言も書くことができなかったが、「会いたい」「まだ結婚していない」という一言だけで、互いに恋し合い、再会を待ちわびていることが分かった。
申誠の話を聞いて、彼の気持ちを自分のこととして理解した。
申誠は言った。
「長兄は捕まった。一人しかいない弟も捕まった。すべてを諦めるしかない状態だ。お父さんとお母さんは70歳の高齢になった。たった一つの希望は日本にいる彼女に会うことだ。人生の全部だよ。この国では、いつでもどこでも誰もが捕まる。今回、弟が捕まるのを見て、それがよく分かった。死ぬ覚悟で脱北して、私を待っている彼女に会って、結婚して幸せに暮らしたい。もし捕まったら収容所で兄と弟の霊に会うだろう」
申誠の目は悲壮な決意に満ち溢れていたが、同時に彼女との結婚を想像する幸せそうな様子も見て取れた。