しかし、岡林さんは優空くんが行方不明になった直後から、その状況や死因に納得がいかず、苦しみ続けているという。
「新聞には『ラッコ泳ぎ』と書かれていました。この報道を見るかぎり、泳ぎの得意な子が川遊びをしていて遭った水難事故のような印象を受けますが、生前の優空はまったく泳ぐことが出来ず、水を怖がっていました。そんな優空が、なぜ、おろしたての服を着たままあんな汚い川へ入ったのか? 親としては、優空が泳ぐために川へ行ったとは、とても思えないのです」(岡林さん)
死に物狂いで息子をさがしたあの夜
突然の出来事は、2019年8月22日に起こった。
「妻から泣きながら電話がかかってきたのはその日の夕方のことでした。いつも5時の音楽が鳴るとすぐに帰ってくるはずの優空が帰ってこない、近所の友だちの家を数軒尋ね歩いたが、『来てないし、見てもいない』そう言われたというのです。私は『まさか・・・』という思いで、急いで帰宅しました。そして、もう一度近所の子どもたちに尋ね回り、用水路の中、田んぼの中、公園や小学校までの道のりなど、必死で探しましたが、自分の手で発見することは叶わず、所轄の南国署に捜索願いを出しました」
午後8時28分、警察から、下田川堤防内側の犬走りの上で、びっしょり濡れた図鑑と子供用のクロックスサンダルを発見したという電話がかかってきた。それは優空くんのものに間違いなかった。
「警察からは『何かあればこちらから電話をしますから、お父さんは家で待機していて下さい』と言われましたが、とてもそのような心境ではなく、私はヘッドライトをつけ、両手にライトを持ち、下田川を照らしながら一人で下流に沿って捜索を開始しました。すでに報道されていたらしく、近隣住民の方々も心配そうに出てきてくださいました。もうだめかもしれない・・・、頭の中はパニックでしたが、どこかに打ち上げられているのではないかと、必死で両岸を照らしながら、下流へ5キロほど歩きました」