4月に辞任した車谷前CEO(写真:つのだよしお/アフロ)

東芝を巡る論考で置き去りになっている社員の視点

 2020年の株主総会を巡り、株主提案権の行使を妨げ、議決権行使の内容に不当な影響を与えようと画策したとして指弾されている東芝。今年6月10日に調査報告書が公表されて以降、6月25日の株主総会が終わるまでに、取締役4人に加えて、執行役副社長と常務執行役が相次いで退任する事態となった。総会直後には、新任の社外取締役が辞任している。前代未聞の大混乱である。

 本件については、注目すべき論考が4つ発表されている。一つ目は、6月30日付「『底なしに悪い会社』東芝から得る7つの教訓」(論考A)だ。著者は証券会社のアナリストで、目線が投資家にあり、株価が低落傾向にある企業を批判的に論じるアナリストの傾向が出ている。指摘はもっともだが、ここまでこき下ろすこともないように思う。

 二つ目は、7月9日付「東芝と三菱電機の不祥事で露呈した『社外取の限界』とガバナンス改革の要諦」(論考B)で、こちらも著者は証券会社の元ストラテジストである。証券会社出身ゆえに、貯蓄推進の歴史の上にある日本の経済界(「貯蓄→銀行の融資→企業の設備投資」という流れ)とは視点が異なる。特に、以前から言われてきた「社外取締役のアルバイト化(片手間でできる仕事との揶揄)」について、「機能していない」と一刀両断にしている(三菱電機の話は本稿では触れない)。

 三つ目は、7月14日付「崩壊した東芝のガバナンス、車谷氏に欠けていたもの 産業政策の名の下の経産省と企業とのズブズブの関係も見直し必至」(論考C)。著者はシャープの前身である早川電機工業に入社した企業人なので実業の立場からの視点を感じさせる。4月に辞任した車谷暢昭前CEOは企業売却問題以前に東芝社内の支持を失っており、企業と官庁が一体化している「日本株式会社」のやり方がもはや通用しないという点を指摘している。

 そして、四つ目が7月15日付「東芝『株主への圧力問題』の調査報告書をめぐる疑問と違和感」(論考D)。日銀出身の著者は犯罪学を修めた背景や米国での役員経験を元に、ほとんどの記事が金科玉条としている「株主が選んだ調査人による調査報告書」に疑問を呈している(つまり、東芝側には今後も戦える余地があるというもの)。

 どれも日本の企業人には読んでほしいと思うが、これらの記事はあくまでも、企業経営者と株主という二つの視点で書かれている。また、ガバナンスが効かなくなった企業の悲劇を書いているが、悲劇の主役は退任させられた取締役ではなく、社員であることを明示していない。

 しかし、企業は株主、経営者、従業員の三位一体が整って初めて力を発揮する。従業員の存在を忘れてはならない。

 2015年に発覚した不正会計事件から現在に至るまで、問題解決に参画することなく、むしろその煽りを受けるだけだった東芝の社員だが、自分たちから期待すべき経営を求めて声を上げるという発想があってもいい(ここでは、消費者や債券保有者などすべてのステークホルダーを対象としてはいない)。

 そこで、本稿では東芝の社員は東芝を自分の手に取り戻すことができるのか、できるとすればどうすればいいか──という点について考える。