(岡村進:人財育成コンサルタント・人財アジア代表取締役)
誰しも年齢を重ねてくると、「若い世代の役に立ちたい」と思うものだ。そのためには「若手に何か有益なアドバイスをしてあげなければ」という気持ちが自然と高まってくる。
だから、部下思いの上司ほど、気持ちを込めて部下を叱る。
ただ、思いが強すぎると、ついつい厳しい言葉を並べてしまうことになる。
たとえば、中途半端な準備で顧客に接している姿を見れば、「真剣に向き合うことが信用を得るためにいかに大切か!」と熱弁を奮う。安易に物事を質問してきたら、「まずは自分で調べてから聞きに来い!」と一喝したりする。
部下からみれば理不尽な叱り方かも知れない。だが上司のほうは、「なかなか思い通りにならない世の中で生き抜く術と忍耐を教えたい」との愛情をこめているつもりなのだ。
このように上司が部下を「熱血指導」すると、両者の軋轢が高まることがある。ところが、最近はそんな上司と部下の緊張感のあるやりとりがすっかり影をひそめてしまったように思う。これは果たして部下や組織によってよいことなのだろうか。
誰からも叱られない社会
上司は愛情をこめた指導のつもりでも、それをどう感じるかは「部下次第」である。もしハラスメント通報でもされたら、長年頑張ってきた上司のサラリーマン人生も「一発アウト」になりかねない。昨今の経営陣は、真相を探るよりも火消しのために「とりあえず」上司を左遷させるようになっている。いったん出世街道を横にそれた人が、元のコースに戻ることは少ないのが日本企業だ。叱る側のリスクは、近年ますます大きくなる一方だ。だから、胸の内では「あいつにこう指摘してあげたいのに」と思っていても、言葉を飲み込んだままにしている上司も多いはずだ。
一方、そんな器用な真似が出来ない上司の中には、部下への思いが強すぎて、ついつい言い過ぎてしまう人もいる。そして案の定、部下との間でトラブルになってしまったりする。
だが私は思うのだ。そんなときに、経営側がもう少し守ってやれないものかと。さもないと部下に対して誰も厳しいことを言えなくなる。私は傍で見ていてこんな心配を募らせている。