(乃至 政彦:歴史家)
◉「御館の乱」における上杉景虎の戦略(前編)
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65399)
御館の乱勃発する
天正6年(1578)3月13日、上杉謙信が亡くなった。その約
怒りに震える親綱は、栃尾城主・本庄秀綱、そして御館城主・
そこへ大きな悲劇が引き寄せられる。5月13日夜、景勝義兄の上杉景虎が、御館へ出奔したのだ。景虎は反乱軍の旗頭として、大いに歓待された。景虎が景勝を見限った理由は定かではない。この問題を、反乱軍の側に義ありと見たのだろう。ここに「御館の乱」が勃発する。
景虎が御館に入ると、反乱軍に味方する者が続出した。5月16日に、信濃の桃井義孝・堀江宗親らが連れた軍勢は圧倒的であった。これを見た景虎は即決する。その翌日、春日山城を一気に制圧すべしと、桃井らを進軍させたのだ。