森喜朗前会長の性差別発言でミソがついた東京五輪(写真:山内晴也/アフロ)

岩田 太郎(在米ジャーナリスト)

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長が2月に、ジェンダーに関する不用意な発言により短期間で辞任に追い込まれた。昭和時代さながらに「子孫繁栄がもたらす持続性」を信奉する森氏を「キャンセル」して勢いに乗るジェンダー論者たちは、政府や企業など日本のあらゆる組織における意思決定の場で、女性の割合を強制的に約半数近くまで引き上げるクオータ制を導入すべく要求を強めている。

 だが、本連載の第1回第2回で見たように、クオータ制や男女平等の理由付けは、「日本が国際社会で認められるために必要だ。なぜなら日本は国際社会で認められなければならないからだ」「男女平等は正しい、なぜなら男女平等は正しいからだ」など論点ずらしの循環論法に基づいている。さらに、「多様性」「寛容」「包摂」を謳いながら、非西洋・日本の価値観や制度を「普遍的」な西洋を至上とする国際主義思想で否定するものだ。

 最も重要な論点として、女性の社会進出や選択の最大化を実現した欧米ジェンダー先進国において、社会や共同体の持続性を示す出生率が、軒並み日本と同じように人口置換水準を長期間下回っており、このままでは人口減少と人的インフラの機能低下が始まることだ。このため、女性の結婚や生殖に関する権利にまで踏み込まねば、負担の重くなる将来世代を現役・退役世代が食い物にするただ乗り行為となり得ると論じ、ジェンダー論に持続性がないという致命的欠陥を指摘した。

 第3回の今回は、(1)ジェンダー論を唱える勢力が主に、グローバリストで新自由主義的な思想を持つリベラルエリートであることを明らかにし、(2)日米のような新自由主義経済の仕組みを採用する諸国において、女性指導者の比率を引き上げる形で実施されるジェンダー平等は、社会や政治の最大の課題である「経済格差問題」の解決に貢献するどころか、かえって悪化させるとの仮説を示す。