・1回目「森発言が浮き彫りにしたジェンダー論の誇張と混同」から読む
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長のジェンダーに関する不用意な発言は、人としての思いやりに欠ける面が多い森氏が象徴する「国民不在の五輪」に対する人々の積年の憤りを爆発させた。こうした国内の怒りと、欧米からのジェンダー平等化の外圧を巧みに組み合わせて政治的に利用したのが、日本人の「欧米出羽守(おうべいではのかみ)」勢力だ。その組織的な世論操作が功を奏し、森氏は辞任に追い込まれた。
それだけではない。国会や企業取締役会、各種団体や組織の指導部において、女性の割合を全体の半数近くまで強制的に引き上げるクオータ制や夫婦別姓制度の導入、ジェンダー差別・偏見を許さない運動など、「女性が自由に選択できる社会」「女性が自立して生きやすい社会」を実現するための権利拡大ムーブメントが情緒的な切迫感を増し、長期的視点による検証や議論をバイパスする形で、なし崩し的に加速している。
これらの運動は趣旨や分野が多岐に分散しているものの、本質において「個人の権利尊重(私)と共同体の存続(公)のどちらを優先するか」「現世代の利益か未来世代の利益か」というせめぎ合いに収斂する。
連載2回目の今回は、森氏辞任後にムーブメント推進者たちが行った厖大な発言・論評のイデオロギー的傾向や手法を分析し、議論で意図的に置き去りにされている「ジェンダーと共同体の持続性の関係」を明らかにする。