歴史作家の伊東潤と歴史家の乃至政彦。伊東が乃至の才能を見出し、共著を出版してから今まで交流がある二人。対談の前編では乃至の新刊『謙信越山』の書評を伊東が紹介したが、後編は選手交代。急逝した火坂雅志の『北条五代』を引き継いで完成させた伊東の制作話と、乃至の書評を紹介する。(JBpress)
『謙信越山』発売記念:伊東潤×乃至政彦対談(前編)
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64287)
火坂:調和と伊東:破壊の美学
ーー伊東先生は、火坂雅志先生の急逝で未完となっていた『北条五代』を引き継ぎ、昨年末に上梓されていらっしゃいますが、乃至先生はこの作品を読まれてどのような感想をもたれましたか?
乃至 伊東先生と火坂先生の共著ということ自体、とにかくすごいんですが、全体をとおして文章に違和感がなかったのが驚きでした。意識してそうされたのか、それとも自然にそうなったのか、伊東先生どうなんでしょうか?
伊東 文芸評論家の縄田一男先生も総評で「声帯模写ならぬ文体模写だ」とおっしゃっていたんですが、火坂さんが書き残した前半部分をよく読んでから引き継いだので、文章のリズムや作品の雰囲気が似てきたんでしょうね。
乃至 そういうものなんですね。
伊東 コピーは得意です(笑)。司馬さんの筆致や作品の空気感も会得しましたね。だから司馬さんを読み慣れた読者から「読みやすい」と言われるんじゃないかと思っています。今回は3代氏康までは、火坂さんの構想やキャラクターを受け継いで書きました。しかし4代氏政と5代氏直のパートは火坂さんのメモもないので、好き勝手に書きました。火坂さんパートは流麗なクラシック、私のパートはハードなロックという感じですね。
乃至 非常にたくみな切りかわりですばらしかったです。伊東先生が書かれる作品は、前半部はちょっと落ち着きがあって、段々ペースが上がっていくんですが。
伊東 いつもそんな感じですね。ハリウッド映画の脚本術を参考にしています。
乃至 そうした作風が火坂先生との合作でも、うまくかみ合っている。それが感じられる部分が、特におもしろかったです。もちろん、おふたり作風は違っているわけで、自分のイメージで申し訳ないんですが、火坂先生が書いている部分は人形劇のようで。
伊東 なるほどね。リアリティの違いですね。火坂さんは歴史小説というものを心得ているので、その枠からはみ出さない安心感があります。私の場合は枠を破壊していくのがモットーです。本作では調和と破壊の美学を楽しめると思います。
乃至 予定調和で物語が進んでいくのが心地よく、落ち着いて読めるんですよね。こんなに心地よい空間を描ける人は、ほかにはいないと思います。
一方、伊東先生のターンがくると、だんだんと実写のように生き生きしてきて、なにか汗光りする感じがしてくる。生身の人間がおりなすディープな群像劇になっていって、そこに愛洲移香斎【※1】のセリフとかがはさまれることで、火坂先生の思いがより豊かに広がっていく。読者にもたせている予定調和的なイメージを踏み越えて、さらにそこに弾みをつけることで、インパクトを強くもたせることに成功していると感じました。
※1愛洲移香斎 愛洲陰流(陰流)の祖。名は久忠。36歳のとき日向鵜戸の岩屋(現在の宮崎県日南市)に参籠して剣の極意を感得したと伝えられる。晩年は日向守と称し、日向国に住んだ。
伊東 まさにその通りだと思います。愛洲移香斎の言葉を氏康がしばしば思い出すことで、火坂さんのテイストを残しつつ、次第に滅亡に向かっていく苦しみや葛藤という雰囲気を強くしていきました。
愛洲移香斎については、火坂さんは仙人みたいに書くつもりだったのかもしれませんが、勝海舟風にしたんです。それがコメディリリーフ的な役割を果たしてくれました。そこは司馬さんのユーモアにも通じるところだと思います。
乃至 そうだったんですね。