歴史作家の伊東潤と歴史家の乃至政彦。伊東が乃至の才能を見出し、共著を出版してから今まで交流があり、乃至の新刊『謙信越山』にも、伊東が関わっている。前編では二人の出会いからその経緯、伊東が読んだ『謙信越山』評まで、両者に貴重な話を伺った。(JBpress)

『謙信越山』の名付け親

――歴史ファンの皆さんのなかにはすでにご存じの方も多いかもしれませんが、伊東先生と乃至先生のご関係について、あらためておふたりから教えていただけますか?

伊東 皆さんが期待されるほどドラマチックなものではなく、最初はmixiで知り合ったんですよね。

乃至 今から11~12年くらい前だったと思います。

伊東 当時、乃至君が上杉三郎景虎【※1】のコミュニティをもっていて、読んでみたらとても素晴らしい内容で。こういうのを書ける人が在野にもいると驚き、声をかけさせていただいたのが最初です。それで共著で本を出そうという話になり、出版社に持ち込んだら、とんとん拍子で企画が進んだというわけです。

※1上杉三郎景虎 北条氏康の7男。上杉謙信の養子となり、上杉景虎を名乗る。謙信の没後、同じく養子の上杉景勝と家督を争った御館の乱に敗北し、自害した。

乃至 あのときのことには、忘れがたいものがありますね。伊東先生は、よく一緒にやりましょうとおっしゃってくださったと思います。それが私にとっては最初の著作となる『関東戦国史と御館の乱』(洋泉社歴史新書y)になりました。

――乃至先生が『謙信越山』を書きはじめたのも、伊東先生からタイトルをいただいたことがきっかけと聞きましたが?

伊東 私が『吹けよ風、呼べよ嵐』(祥伝社)を書いた頃だったですね?

乃至 そうです。作品中に描かれている川中島合戦についてお話をしていると、『謙信越山』というタイトルで、ぜひ書いてみるべきだと背中を押していただいたことがすべてのはじまりでした。それからしばらくして、編集の方から新しい連載のネタがありませんかといわれたので、こんなのはどうでしょうかと提案したことから、実際に書きはじめるようになったんです。

伊東 越後上杉氏を調べた方ならご存じと思うんですが、これまで上杉謙信と越後上杉氏の研究はすごく手薄だったんです。僕も『北天蒼星 上杉三郎景虎血戦録』を書いたとき、良質な史料本を探しましたが自治体史以外には見つからなかった。乃至君や今福匡さんとかが出てくるまでは、上杉氏関連で手にとりやすい内容の研究本は、ほとんどなかったと思います。

乃至 武将としての人気の割には手薄でしたよね。もちろん研究者はいましたが、一般向けとなると目立ったものはとても少なかったはずです。

――では、今回、乃至先生が『謙信越山』を出版すると聞いて、伊東先生にも思うところがあったのでは?

伊東 私の見込んだ才能が、期待にこたえてくれていることがうれしいです。歴史教師の経験すらない乃至君のような人が在野の研究家として画期的な作品を次々と上梓することで、歴史好きの中には「僕にもできるかも」と思う方もいるかもしれませんし、研究という分野が一般人にも開放されたと思います。

乃至 ありがとうございます。こちらも「あの伊東潤に見出された」という経歴が、本を出版する上でとても弾みになっています。