謙信が独身を通した理由

 ちなみにこの時まで謙信が独身だった理由は、意外に注目されていなかったが、実は上杉家の藩史『謙信公御年譜』にあっさり明記されている。

 19歳の謙信が、兄の長尾晴景から家督を預かり受けた時、いずれ自身の家督を兄の息子に返す約束をした。謙信は、これを兄に通すべき「節義」と考えた。だが程なくして兄が病没し、ついでその息子が早死にした。

 そこで今度は姉の息子である卯松(後の上杉景勝)を養嗣子に迎え直し、冒頭で述べたように「御身清浄」として童貞を守り通したという。政治的に考えて、とても合理的な判断である。すでに後継者が決まっている以上、謙信は妻帯を避けるべきだと考えたのだ。

 だが、さすがに上杉氏の家督を継承するとなると、形ばかりでも縁組をするべきだと考え直したのだろう。そこで取り急ぎ「新さう」への婿入りを進めようとしたが、結局は頓挫したのである。

 さて、「生涯不犯」の話はここまでにして、次は謙信が男色を愛好したという話の真偽を見ていこう。これには一つだけ、その証拠とされる一次史料がある。関白・近衛前久が友人の僧侶に宛てた手紙である。