過去帳に記された「越後府中御新造」

 まずは生涯不犯の実否である。謙信は女性に関心がなかったというのは本当だろうか。実は最近、歴史学者たちが謙信も妻帯を考えた形跡があることを指摘するようになった。根拠となる史料は二点ある。

 一つ目の史料は、高野山の清浄心院に残る過去帳『越後過去名簿』である。この史料は13年前に活字化されて以来、多くの研究者が注目を寄せている。

 そこに、永禄2年(1559)4月の生前供養の記録として、「越後府中御新造」という人物の記述が見える。現代語訳するなら「越後府中さまの高貴なる新妻」と言う意味になる。謙信が30歳のときの記録である。

 当時、越後の首都は府中にあった。もともとそこには越後守護・上杉定実が住んでおり、定実が生前の間、「越後府中」といえば、国主の定実を指していたことになる。

 だがその定実は9年前に亡くなっており、越後の国主は名実ともに春日山城主・上杉謙信のもとへ移っていた。

 このためこの「越後府中」は謙信のことで、「御新造」というのは謙信のことに他ならないと言われているのだ。するとこの時期、謙信には若い奥さんがいたことになる。

 この説については、先日発売した『謙信越山』に私見を披露させてもらった(第一章 番外編/壱)。これを機に読んでもらいたい。

 続いて第二の史料も見てみよう。

「謙信越山」乃至政彦・著