「森会長発言」の余波が収まりません。
私の連載にすら影響は及び、先週土曜公開の前回稿が水曜になってもトップビューでランクインし、せっかく入稿した遠隔学習の別原稿はちっともビューが伸びないといったあおりを受けてます。
「森会長」自身の「謝罪」については、日光猿軍団との比較対照に基づく考察を前回付しましたが、高齢の政治家が地雷を踏み続ける現象は収まらず、さらに事態を損ねています。
とりわけ最低最悪だったのは、二階俊博・自民党幹事長の「問題ない」に続いて、これまた言わなきゃよかったのに「ボランティアがやめたら、また募集すればよい」という救いようのない暴言が飛び出しました。
またぞろ大量の東京五輪ボランティアが「やってられるか!」と、東京オリンピックに見切りをつけている。
先ほど確認した報道では97人の辞退者とのことですが、そこで収まりはつかないでしょう。
先に本稿の結論を記しておきます。「森発言」は収拾がつかず、国際的に責任を取らされることになるでしょう。
なぜ?
それは、爺さん連中のしまりが緩くなった「ホンネ」漏洩はもとより、その後の「謝罪」が国際社会に通用するマナーになっていないからです。
日本国内の、目配せや鼻薬が効く範囲内だけで通用する、一種の符丁でしかない。では「国際社会で通じる、普通の謝罪」とはどういうものか?
それを、2001年2月10日、米国ハワイ州オアフ島沖で発生した「えひめ丸」事故から20年目の慰霊式典と対照して考えてみます。