短期間で鉄橋を架け替えた理由は、近隣に鹿瀬(かのせ)ダムが建設されることで川の水位が上昇し、橋桁が水没するのを避けるためだったという。写真を見ると、古い橋脚より新しい橋脚の方が高いので、線路の高さを上げたと考えるかもしれないが、そうではない。
次の写真の左岸に残る旧橋梁の遺構を見てもわかるように、線路の高さは変わっていない。
何が変わったかというと、「上路式」から「下路式」への変更である。上路式は、橋桁の上に線路や道路を通す。一方下路式は橋桁の下に線路や道路を通す(次の図を参照)。橋脚を高くし、下路式に変更すれば、橋桁が川に浸かって流されてしまう可能性が低くなることがわかるだろう。
2回に分けて、橋を3分割して移設した例を見てきた。そして、100年以上前に作られたものが、いまだに現役の橋として使われている。普段利用しているときには気づかないが、調べてみると結構こういう「再利用」が多いのかもしれない。
再利用することになった理由はいろいろあるだろうが、一度作ったものを「使いまわす」ということを先人たちはやってきたということだ。「持続可能な世界を目指す」という方向に世界が向かい始めた現代において、この「使いまわし」は環境負荷を減らすという点でも、新たな意義を持つことになったと言えないだろうか。
さらに、長期間メンテナンスをしながら現役として使い続けることで、「明治・大正時代の遺産」を目の当たりにできる、という恩恵ももたらしてくれている。旧浦村鉄橋の分身たちも、旧当麻橋梁の三つ子たちも、日本の近代を象徴する“遺産”なのだ。