この区間が開通したのが1930年(昭和5年)。つまり約90年間使われている。さらに、橋自体(移設前)は1914年製造なので、実に100年以上現役の鉄道橋として利用されていることになる。
では移設前の鉄橋はどこにあったのだろうか。
1つだけ残る古い橋脚が語るもの
分割前に使われていたのは、埼玉県から遠く離れた新潟県、阿賀野川にかかるJR磐越西線の阿賀野川当麻(あがのがわたいま)橋梁だ。新潟県新津から福島県会津若松に向かうJR磐越西線の列車が、福島県に入る少し手前に渡る鉄橋である。
この写真が現在の当麻橋梁だ。2つの橋脚(橋桁を支える柱)があるが、それ以外に右側の橋脚の手前、少し高さの低い橋脚がポツンと立っている。これが現在の橋に架け替える前の古い橋の橋脚で、その橋こそ秩父鉄道に移設された旧当麻橋梁なのだ。実は左側にもう1つ古い橋の橋脚があったのだが、2011年の福島・新潟豪雨により崩壊してしまったという。
旧当麻橋梁は1914年(大正3年)に作られた。それが分割されて秩父鉄道に移設されたのは1930年(昭和5年)。16年しか使われなかったのはなぜか。