役割を終えたが一部を保存

 浦村鉄橋のメイン部分を再利用した越路橋はどうなったか。

 浦村鉄橋は単線の線路用だったので幅が3.6mしかなかった。これでは上下2車線(片側1車線)の道路に使えないため、約6mまで幅を広げて再設置した。

 1959年に設置したこの橋は老朽化のため、2002年に新しい橋に架け替えられ引退。その際、地域住民の熱意ある要望から、橋桁の一部が近くの越路河川公園に移設・保存された(次の図を参照)。それが冒頭写真のちょっと違和感のある橋なのだ。

旧浦村鉄橋の再利用の経緯
2002年新設の現越路橋から現浦村鉄橋を臨む。どちらも旧浦村鉄橋のなごりはなくなっている
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 120年以上前に作られた橋が分割され、一部が今でも現役の橋として使われている。これが、2019年に「土木学会選奨土木遺産」に指定された理由だったのだ*1

*1 「選奨土木遺産 旧浦村鉄橋」、土木学会、https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/1040
「【長岡】旧浦村鉄橋が土木学会選奨土木遺産に認定されました」新潟県長岡地域振興局 地域整備部、https://www.pref.niigata.lg.jp/site/nagaoka-seibi/kyuuuramuratekkyou.html

 一度作った橋を再利用することは、大正時代から昭和時代中期ごろまでを中心に、割と行われていたようだ。鋼材が豊富ではなかったこともあるだろうし、「使えるものは使う」という「使いまわし」の考え方が浸透していたからかもしれない。

 移設して再利用している現存の橋を調査した論文がある*2。論文では、1つの橋を2つまたは3つに分割して再利用している例もあることが紹介されている(論文中では「姉妹橋梁」と呼んでいる)。

*2 梶川康男,「鋼橋移設,既存ストックの有効活用」,第9回 鋼構造と橋に関するシンポジウム論文報告集(2006年8月),http://library.jsce.or.jp/Image_DB/committee/steel_structure/book/55132/55132-0015.pdf

 橋を3つに分割し、しかもそれぞれが現存している例は少ない。旧浦村鉄橋がその一例なのだ。ただ、残念ながら一部は現役でなくなり、一部は廃棄されている。

 ところが、3分割した橋(「三つ子橋」と呼ぼうか)がいずれも現役で利用されている例がある。(後編につづく)
100年経っても現役、仲よく働く「三つ子橋」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63499