(譚 璐美:作家)
12月23日、外務省は1989年に中国で起きた天安門事件当時の外交文書を公開した。
天安門事件とは、1989年6月4日、天安門広場で民主化を求めた学生や市民に対して中国政府が人民解放軍を出動させて弾圧した政治事件だ。
中国が歴史から抹消している「天安門事件」
今でも中国政府は弾圧の事実を認めず、「暴乱事件」として正当化し、「六四」「天安門事件」などの言葉はネットで検索できず、厳しい言論統制の対象になっている。事件による犠牲者は、中国政府の公式発表では死者319人とされるが、西側国の推定では、800人から1200人が犠牲になり、ハンストの後遺症で多数の人々が、未だに意識不明に陥ったままだとされる。
今回公開された外交文書では、日本政府が事件直後から「人道的見地から容認できない。しかし、中国を孤立化へ追いやるのは、大局的見地から得策ではない」として、西側諸国が一斉に人権侵害による経済制裁へと動く中で、日本のみが中国批判の声を上げなかったことが記録されている。
この文書の公表により、かつて私が取材して積み上げた事実関係が、今、はっきりと裏付けられたという確証を得るに至った。