ブラジル最大の都市、サンパウロ(Pixabay)

(森本 昌義:元ソニー専務・アイワ社長・ベネッセ社長兼CEO)

 新型コロナウイルスは世界中に広がっており、各国政府はその対策に追われているが、対策は国により極めて多様化している。また国民の反応も様々である。

 日本では、政府の対策が欧米に比べて緩やかあるのに、感染者や死亡例は相当低く、それはなぜか、の理由究明が話題になった。麻生副総理が“民度の差”だ、とコメントしたり、ノーベル賞の山中教授も「ファクターX」として欧米との違いの理由を探し出そうとしている。

 コロナ対策優先か経済優先か、二股膏薬(ふたまたこうやく)的な政府の態度に不満を持っても、日本ではマスク着用に不平を唱える人はほとんどいない。欧米では個人の自由と尊厳を冒すとしてマスク着用に反対する人々が多いとのことであるが、その気持ちは我々には理解できない。さらに国によっては、「密」をつくらないために宗教的な集まりを禁じることの是非が問われているところもある。近く始められると期待されるワクチン接種に関しても、接種を拒否する人が相当出てくることが予想され(これは日本でも起こり得る)、果たして国が国民全体にワクチン接種を強制できるのか、ということも問題になりそうだ。

 これまでは、海外旅行をしたり、外国とビジネスをしたりする際になんとなく感じていた文化の違いが、新型コロナウイルスの出現とその対策で一層認識されるようになったのではないか、と思う。

 個人の成長過程では、周りとの価値観の違いを意識することにより自意識を確立するが、ある特定の集団内では、集団の外にいる周りの人たちの価値観との違いを意識することで集団としてのアイデンティティをさらに強くすることになる。