これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)
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平成元年~3年:42~44歳
新工場竣工の1年前、恭平は高校の同期卒業生の代表に祭り上げられた。
そして、新工場竣工の翌年4月から1年間、卒業後24年を経た恭平たち同期が、当番幹事として同窓会運営の世話をすることが義務付けられていた。
活動の二本柱は、毎月第二木曜日に開催の「二木会」と銘打った親睦会と、11月開催の同窓会総会を運営することだった。
昭和36年から脈々と続く毎月の二木会では、卒業生をゲストに招いての卓話。会食しながらの懇親。そして締めは、全員が肩を組み、雄叫びを上げて、応援歌の熱唱だった。
見事にパターン化した行事に、毎月100名の会員を集めるのは、案外な作業だった。
恭平はこの年功序列の最たる組織に風穴を開け、マンネリ化した同窓会を身近で親しみ易いものにしようと、ささやかな挑戦を試みた。
会の開催日時とゲストを告知するだけの、何の変哲もない往復はがきに、天声人語風のコラム欄を設け、自らの想いを毎回執筆した。
「母校サッカー部が、5年ぶりに全国高校選手権に出場。『今回こそは!』の願いを託し、寄付を奮発。成し得なかった夢を、後輩に託す気持ちは、期待と羨望が相半ば。不惑を過ぎても、できれば俺が…の想いは消えません。◆サッカーは現役退きましたが、経営者としては未だ駆け出し。身に余る借財を背に、キック・オフの笛が鳴ったばかり。◆斯様な私が、何故かこのたび同窓会当番幹事の代表に。会社は上手くいけば社員のお陰、しくじれば社長の責任。同窓会も似たようなもの。名前は同じ代表でも、借金が無いだけ同窓会がラク。◆これからの一年、厳しくも慈愛に満ちた叱咤激励をヨロシク!」
肩書こそ代表幹事だけれど、出席者の殆んどが父親のような先輩で、そのプレッシャーに負けまいと、開き直って書いた所信表明は思いの外に好評を博した。