これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(最終回)

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令和2~3年:72~73歳

 どこか対岸の火事として捉えていた新型コロナウイルス感染症が、全国的に蔓延し始めた。

「みやじまトライアスロン大会」「けん玉ワールドカップ」など恒例の行事や諸々の会議、東京への出張が次々と中止になり、代わってZoom会議など新しい生活様式が出現した。

 ライフスタイルが変わるに従って、エンゼルスの商品構成にも様々な変化が生まれた。

 エンゼルスの基幹商品だった「おにぎり」や「サンドイッチ」の売上が極度に落ち込んだのは、週末の行楽を自粛せざるを得ない行動の変化と併せ、直接手で触れる商品への消費者の抵抗感による心理的な作用が起因していた。

 一方、ステイ・ホームの影響で売上が増えたのが冷凍食品や酒類、デザートだった。

 ダイナーウイングは全国でも珍しく、小規模商圏ながら多岐にわたるカテゴリーを製造していたことが幸いして、向かい風の中でも僅かながらも売上を伸ばしていた。

 この年の6月、7月と立て続けに、恭平は2人の友人を癌で喪った。

 暫く癌検診を受けてないことに気づいた恭平は、PET検診センターで受診した。

 癌こそ見つからなかったがγGTPの数値が異常に高いことを指摘され、MRIによる再検査の結果、胆管の末端に腫瘍が見つかり、内視鏡による検査入院を勧められた。

 恭平は42歳の年、外科医であり高校の同級生でもある井藤俊宏医師の執刀で胆嚢摘出手術を受けており、その影響で肝臓に負荷が掛かりγGTP値が高いのだと認識していた。

 しかし、正常では13~64であるべき数値が1000を超えるとさすがに不安になり、井藤俊宏に電話で相談した。

「そんなに高い数値、聞いたことがない。放っておいたら黄疸が出て肝臓がダメになるぞ。中電病院副院長の大出圭介は、俺の後任として外科部長を務め、腕も間違いない。高校の後輩でもあるから、彼に診てもらえ。俺からもよく話しておくよ」

 既に中電病院を定年退職して他の病院に勤めている井藤俊宏は、自らも心臓の開胸術や椎間板ヘルニア、直腸癌の手術も経験していた。

「昔と違って今の俺は、医者の立場だけでなく、患者の悩みもよく理解できるんだ」

 自虐的な自慢をするだけあって、対応は早かった。