これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)
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平成21~25年:62~66歳
還暦を迎えた年から毎年、恭平は「75歳への道」と銘打った工程表を作成していた。
工程表の縦軸にはその年から75歳を迎える2026年までの年号を記し、横軸には恭平を筆頭とする幹部社員20余人の名前が記載されていた。
名前の欄には年毎の年齢と、各々の予測される役職を年毎に修正しては書入れていた。
還暦の翌々年、その末席に恭平の長男・本川謙祐の名前が追記された。
謙祐は恭平譲りの勉強嫌いで、東京の私大を3年で中退して調理師専門学校に入り直し、東京のホテルでフレンチ部門に勤務した後、イタリアンレストランに転職した。
常々30歳になるまでにはイタリアに行って修業したいと話していた。
そんな謙祐から電話があり、「大切な話がある」と言うので、てっきり渡航のための資金援助の依頼だと見当をつけたが、的外れな勘違いだった。
「結婚したい女性がいるので、会って欲しい」
不意を突かれて驚きながらも、相手は誰かと問い質して、さらに驚いた。
お相手の菊浦志緒里は、広島で進学校として名高い女子高から上智大学の外国語学部に進み、今は外資系投資銀行で部長職を務める才媛だと言う。
妻の淳子を伴って上京し、初めて菊浦志緒里に会った恭平は真顔で告げた。
「ご存知だと思いますが、私は食品製造を生業としています。生ものを扱うだけに簡単には返品には応じられませんが、それでもよろしいのですか?」
返ってきた答えは真剣そのもので、微かに怒声を含んでいた。
「どうしてご子息を、そのように仰るのですか。謙祐さんは素直で立派な方です!」
恭平は相好を崩して笑いながら謝ったが、一頻り(ひとしきり)志緒里の表情に笑みはなかった。
そんな2人が結婚式を挙げて数年後、東京生活にピリオドを打ち帰郷し、謙祐はダイナーウイングに入社して商品開発部に配属された。