これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

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平成16~18年:57~59歳

 ダイナーウイングと恭平を見限った後の権田原常務の対応は迅速で、協同組合最大手の東京フーズに兵庫工場の経営移譲を承知させた。

 その際、どのようなどのような条件提示が為されたのか、恭平は知る由もなく、知りたいとも思わなかった。

 10月いっぱいで兵庫工場から撤退したダイナーウイングは、8か月間の兵庫工場経営で3億円弱の赤字を生じさせた。

 この一連の騒動の中で、恭平は決断の大切さをはじめとする幾つもの教訓を得た。

 エンゼルス本社での折衝中に権田原常務から、東京フーズに全株式を譲渡し傘下に入らないかと提案され、恭平が一蹴した帰りの車中で、同席した崎谷副社長が専務の修平に、「東京フーズに株を譲渡するとしたら、一株幾らぐらいに評価されるのだろう」と話しかけ、修平も真剣に受け答えしているのを聞き、恭平は唖然とした。

 組織の危機に瀕しながらもなお、平然と自らの利益に執着する姿に権田原常務と似た、結局は「我が身第一」の保身を感じ、恭平は堪らない孤独感を消すことができなかった。

 しかし、冷静に考えてみると人間は誰も、自分が可愛い。我が身第一の保身から生まれるエネルギーだってあるはずだから、一概に責めることでもないと思い直した。

「創業は易く守成は難し」

 再三耳にする言葉だが、恭平は素直に頷くことができず、時に思い悩んだりしていた。

 ダイナーウイングの創業者は、恭平ではなく、父である。父は58歳で創業し、恭平は11年後に36歳で継承。大きく舵を切ってエンゼルスとの取引を開始した。

 業態を変え、幸いにもパートナーに恵まれたことにより、運よく今日がある。

 しかし、目の前に同じチャンスを見つけたとして、脱サラをしてまで果敢に創業、挑戦できたか自問自答すると、「否」である。

 つまり、58歳での父親の創業の方が難く、36歳での恭平の守成の方が易いはずだ。