これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

前回の記事はこちら(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63883

平成18年:59歳

「そんなこと私が言う訳ないじゃない。あの時、本川さんに断られたら、私の方が路頭に迷うところだったのだから。来週早々に、弊社の経理担当役員とも話し合って、救済案を練っておくから心配しないで、しっかり良品製造をお願いしますよ」

 権田原常務から折り返しの平身低頭した電話に恭平は安堵し、非礼を詫びた。

 翌週の会議出席にため上京した恭平は、権田原常務を訪問した。

 先日のへりくだった電話とは別人のように、常務の態度は厳しさ一辺倒のものだった。

「売上100億円に対して40億円もの借入れを、どう考えているのだ!」

「自己資本比率が10%にも満たないで、どうやって経営できるのだ!」

「自分の経営責任というものを、どう考えているのだ!」

 畳みかけるような詰問に戸惑いながらも、恭平は臆せず持論を述べた。

「40億円の借入れは、150億円の売上に備えたもので、現在がピークと考えています」

「私は経営指標を追うのではなく、お店への貢献と従業員の幸せを追っているんです。経営責任と言われますが、私は片時も、責任者としての自覚を忘れたことはありません!」

 こうした遣り取りの末、提案されたエンゼルスからの救済案は次のようなものだった。

「ダイナーウイング本社工場をエンゼルスが鑑定士による評価額で買い取り、借入金を圧縮させ、キャッシュフローを改善。買戻し特約を付け、10年後に買い戻せるようにする」

「この稟議をエンゼルス内で通すため、経営責任を明確にし、本川社長は自ら降格する」

 これに対し恭平は、経営が健全化されるなら、どんな条件でも受け入れる覚悟を伝えた。