これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

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平成15~19年:56歳~60歳

「本川君、4月になったら、10日ほど儂に付き合ってくれんかの」

「はぁ、10日間って、海外にでも行くんですか?」

「うん、ニュージーランドの工場を巡回しようと思っている」

 甘宮市に本社を持つ建築資材メーカー、寿建産業の中沢俊夫会長から電話が掛ってきたのは、デザート工場が竣工した翌年の初春だった。

「喜んで、ご一緒させていただきます」

 何故、自分が声を掛けられたのか合点がいかぬまま、恭平は同行することを即答した。

 寿建産業は、1990年からニュージーランドの広大な森林の永代使用権を取得。

 ラジアータパインを伐採し、現地に設立した工場で一次加工する一方、伐採した跡地に苗木を植樹し森林を循環させる、まさに自然と企業が共生する壮大な営みを実現していた。

 この偉業を一代で成し遂げた74歳の中沢会長は、既に社長を子息に委ね、新設された甘宮商工会議所の初代会頭の職にあり、恭平は中沢会長に乞われて議員の末席を務めていた。

 中沢会長は甘宮市と合併した吉羽村の出身で、当時日本一の過疎の村と言われた吉羽村に美術館を建設し、岸田劉生の「毛糸肩掛せる麗子肖像」を3億6000万円で落札し、真贋が問われ話題となったゴッホの「農婦」を、6000万円超で落札するなどの傑物だった。

 10日間の旅には、山上五郎甘宮市市長など数名が、途中まで同行した。

 彼らの渡航目的は、甘宮市とマスタートン市との姉妹都市交流会議へ出席のためだった。