これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

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平成24~28年:65~69歳

「みやじまトライアスロン大会」第6回を終えたある日、一人の若者が恭平を訪ねてきた。

「けん玉発祥の地と言われる甘宮市で、『けん玉ワールドカップ』を開催したいんです」

 久保田保と名乗る若者は、いきなり恭平に夢のような提案をしてきた。その無鉄砲過ぎるほどの情熱に共鳴した恭平は、身を乗り出すようにして訊ねた。

「それで、私に何をして欲しいの?」

「大会会長になっていただきたいのです」

「それって、早い話が、私に資金集めをしてくれってことでしょう!」

 こうして始まった夢物語は、1年数か月後に10数か国、100人を超える海外からの参加者を迎え、マスコミにも大きく取り上げられ盛大に開催された。

「甘宮市に新しい名物が誕生した!」

 開会式に臨んだ古野市長は、相好を崩して喜んだ。

 同じ年の第8回トライアスロン大会の開会式直前、翌々年に開催されるリオのオリンピック予選を兼ねたアジアトライアスロン選手権を甘宮市で開催しないかとの提案が、日本トライアスロン協会から提示された。

 この提案に逸早く反応した古野市長に、恭平は腑に落ちぬ胡散臭さを感じた。

 案の定、翌年の市長選の公約の柱に「甘宮市で初の国際スポーツ大会を!」を掲げ、早々と実行委員長に内定していた恭平は、図らずも公約実現の片棒を担ぐ羽目になった。

 公約が功を奏してか、対立候補が3人に増え反市長票が割れたお陰か、得票数が総投票数の3分の1にも満たぬ僅差で、古野市長は3選を果たした。