これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)
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平成19年:60歳
還暦を迎えた年、恭平は一念発起してトライアスロン大会に初挑戦した。
と言っても選手としてではなく大会実行委員長としての挑戦だったが、トライアスロン大会の開催を通じての新たな出会いは、予期せぬ感動と勇気を与えてくれた。
「なぜ、こんなに過酷なスポーツを選んだのですか?」
恭平の問いに上位入賞したアスリートが答えた。
「それぞれは一流でなくても、三種目総合すれば、一流になれるチャンスが魅力かな…」
(成程!)
妙に納得させられる一方で、確かにトライアスロンのレースは過酷だけれど、その大会運営も競技に負けず劣らずタフなことに、少なからぬ自負を抱いていた。
大会開催の第一関門である道路使用許可に次いで、資金調達という最大のハードルが立ちはだかっていたが、実はここでも恭平は、密かな勝算を胸に秘めていた。
一つは、山上五郎市長から「市政20周年記念事業の一環とすることで、1000万円は出そう」との約束を取り付けていた。
さらに、寿建産業の中沢会長からも「美術館をゴール地点にしてもらうのだから…」と協賛金1000万円の内諾をもらっていた。
資金調達に一応の目途を立て、本格的に活動をスタートさせて1年数カ月、やっと道路使用許可の認可を得た恭平は意気揚々と中沢会長を訪問した。
中沢会長は胃癌の手術を機に、商工会議所では名誉会頭、会社では名誉会長に退くなど一切の役職の第一線を退いていた。
「いやぁ、役職に名誉が付くほど不名誉はないなぁ。名前だけの肩書だけを与えられ、権限は全て剥奪されてしもうた。済まんが、例の協賛金は100万円で勘弁してくれ」
「えっ、いきなり100万ですか…」
「申し訳ない。本当は100万円すら儂の勝手にはならんのじゃ。勘弁してくれ」
「いえ、ありがとうございます。足らずは何とかして、必ず成功させます」
痩せ細り背を丸め車椅子に座る中沢名誉会長に心配かけまいと、虚勢を張りながらも途方に暮れた恭平だったが、ふと連想ゲーム的に小さな光明を見出し目を輝かせた。