これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)。

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昭和60~62年:38~40歳

 折からバブル経済の真っ只中、少しずつ商品開発のコツを覚え、2便制から3便制に移行して売り上げが増えるにつれ、社員やパートタイマーの人材不足が切迫した課題となってきた。

 大学や短大、高校に求人表を提出しても、知名度が低く、福利厚生など諸々の待遇も決して良くない中小企業への応募者はゼロだった。

 伝手のある女子短大の就職部の部長に頼み込み、年に1人の栄養士を紹介してもらうのがやっとという状態だった。

『笑顔をください』をキャッチコピーに、パートタイマー募集チラシを新聞に折り込んだ後の数日間、恭平は会社の前を徘徊するのが常だった。

 チラシの地図を頼りに自転車に乗って訪れた応募者は、老朽化した社屋を一瞥するや、ハンドルを切ってUターンしようとする。素早く駆け寄り自転車の荷台を掴んだ恭平は、キャッチセールスもどきに声をかける。

「ご応募に来られた方ですね。2階の事務所へ、どうぞ」

 引きずるように向きを変えさせ、強引に面接へと誘う。応募者が鉄製の階段を音を立てて上がり、事務所のドアを開け、応接用のビニール・ソファーに腰を下ろした頃を見計らって、恭平はゆっくりと階段を上り事務所のドアを開け、応募者に向き合った。

「ご応募ありがとうございます。先ほどは失礼しました。私が、社長の本川です」

 恭平の一人二役の熱演に応募者は唖然とし、頬を緩めれば、面接の半分は成功である。

 良い商品づくりには、良い人材の確保が必須であると恭平は考えていた。

 しかし、人材の良し悪しを論じる前に、人員が集まらない無名企業の悲哀が身に染みた。

 頭を抱える恭平に、広告代理店勤務時代の上司から嬉々とした声で電話があった。芥川賞の登竜門とも称される、「文学界」の新人賞を受賞したと言う。