これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)。

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昭和58~59年:36~37歳

 36歳になった直後の5月28日に登記を済ませ、恭平は正式に社長に就任した。

「絶対に会社を潰さない!」の一念で社長に就任したものの、資金繰りを怠った父親への不信と運営責任を果たせなかった弟への不満、その後始末に追われる現実に憤っていた。

 そんな苛立ちを募らせながらも、仮にこのまま会社を潰せば、どれくらいの負債が残るのだろうと計算してみたら、アバウトな負債総額は1億円ほどだった。

 次いで、恭平が脱サラして、現在の年商3億円程度の食品会社を立ち上げようとしたら、どれくらいの資金がいるだろうと試算すると、やはり1億円程度は必要だった。

 ならば、1億円を父や弟の後始末と考えず、二人が恭平に用意してくれた起業資金と考えれば、腹を立てるのはお門違いで、感謝こそすれ恨む筋合いなどないと思い直した。

「そうか!同じ局面に立っても考え方ひとつで、マイナスがプラスにも変わるんだ!」

 そう思い至った恭平は、肩の荷が少しだけ軽くなったような気がした。

 気分だけは楽になったが、7月のボーナス支給時期になっても、事態は何も変わっていなかった。

 取り敢えずジャンプしてもらった先々月以前の支払いはともかく、毎月の収支はギリギリで、賞与資金はゼロだった。

 カープ信用金庫に嘆願した追加融資は丁重に断られ、恭平の個人預金をかき集めた総額50万円が、100人分の賞与の原資だった。