これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)。

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昭和62年:40歳

 病室のパラマウントベッドの背を起こし、ギプスで固めた左足を投げ出して、腕組みをしたままの姿勢で恭平は沈思黙考していた。

 考察していたのは、自らが社長のミッションとして定め、自らに課した第一義、「会社を、絶対に倒産させない」ための方策だった。

 熟考するうちに、10年前に広告代理店を辞し、広島に帰る際に考えていたライフプランを思い出した。

 あの時点での人生設計は、30歳で帰郷、35歳で自社工場を竣工、38歳で社長に就任。40歳で社長を弟に譲り、東京に進出して副社長兼東京支社長に就任。

 東京で広島風お好み焼きのチェーン店を展開しながら、同時に広告制作会社を設立し、広告界にカムバック!と言う按排だった。

 そして、40歳になった今、10年前に思い描いたライフプランは、霧散解消していたが、プランとは異なる道を歩き始めていることに悔いはなく、悔いている暇もなかった。

「自社工場?」

「そうだ、自社工場だ!」

 工場を持つことは、10年前から恭平の夢だった。

 ひろしま食品が大手食品メーカーと同等の機能を持つ工場を保有していれば、たとえ恭平の身に何が起ころうと、たとえ恭平が経営につまずこうとも、会社を丸ごと買い取ってもらえる可能性が生まれ、会社と従業員は生き残ることができる。

「自社工場を建設しよう!」

 それこそが、ひろしま食品を倒産させない唯一にして最善の活路であるとの閃きは、ストンと恭平の腑に落ちた。

 早速、方眼用紙を入手した恭平は、ベッドの上で工場図面の線を引き始めた。