何もできないお歴々が、意味のない難癖をつけるだけであるのに加え、直接頼んできた連中の身勝手と無礼があまりにも酷くなり、バカバカしいので見捨てたのです。

 断続的にですが30代から16年ほど、この組織の舞台裏を支えた経験がありますので「学術会議」というものの現実の姿をスケッチしてみます。

●この際だから名前を変えたら?

●英語のサイエンスカウンシルはそのままでよいから

●「日本科学技術政策答申会議」

 といった、名が体を表すものに改組したらよろしかろう。

 長年お仕えして愛想が尽き、見捨てさせていただいた観点から、極めて穏当な範囲だけ記してみます。

学術会議がダメなところ(1)老人会

 私が日本学術会議に最初にコミットしたのは2004年の夏か秋で、東大で副学長を務めていた小宮山宏さんの紹介で、黒川会長を訊ねたのでした。

「イトー君はいろいろできるけれど、東大の中に敵ができちゃったりして、学内では使いにくくなってしまった。でも人材を埋もれさせるのももったいないので、東大よりもっと大きな日本全体の舞台で仕事してみたらよい・・・」というようなご紹介だった記憶があります。

 一応、その舞台裏も記しておきます。

 これも、もう定年前に早期退職した人物のことなので、問題なく記しますが、私は2001年の春先に、とある女子学生から、教官のセクシャル・ハラスメントを受けて困っていると相談を受けました。

 その学生の希望に沿った海外大学(MIT)への紹介などしたところ、私がその事実を知っていると感づいた当の容疑者から、逆レッテル張りで「伊東にはアカデミックハラスメントの疑いがある」と、完全なる冤罪に落とされました。

 実はそれ以降19年間、ロクでもない状態が今現在も続いています。