(柳原 三佳・ノンフィクション作家)

 9月16日、菅義偉・第99代内閣総理大臣が誕生しました。

 伊藤博文が初代の内閣総理大臣になったのは1885(明治18)年なので、日本に内閣制度ができてから135年の歳月が経過したことになるのですね。

 選挙によって国会議員や総理大臣が選ばれることは、今の私たちにとっては当たり前のことですが、日本人が「選挙」という制度を初めて知り、現在のかたちが定着するまでに、どのような歴史があったのかご存じでしょうか。

 日本で第一回目の衆議員議員総選挙が行われたのは1890(明治23)年、伊藤博文が初代総理大臣になってから5年後のことでした。しかし、当時は「国税を15円以上納めている、満25才以上の男性」にしか選挙権が与えられていませんでした。

「選挙管理委員会事務局」のサイトによれば、「明治時代の物価は、もりそばが1銭、牛乳(1本)が3銭。今の物価で計算すると、当時の15円は、現在の60~70万円ぐらいと思われます」とのこと。つまり、この条件を満たすのは、日本の全人口の1%程度にすぎず、実際にはごくわずかの上級国民しか投票できなかったのです。

 こうした制度に対しては批判が出て当然でしょう。1925(大正14)年には納税制度が撤廃され、25才以上のすべての男性に選挙権が与えられます。

 それから遅れること20年、1945(昭和20)年になってようやく、「満20才以上の男女」が選挙権を持つようになり、今に至っているのです。

幕末、米国の選挙制度にカルチャーショックをうけた侍たち

 さて、本連載の主人公である、「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」が青年期を過ごした幕末の日本には、もちろん選挙制度などありませんでした。

 江戸幕府のトップである将軍職は徳川家の世襲制でしたから、民間の者が「選ばれて」その職を交代するということなど、全く考えも及ばないことだったのです。

 そんな時代に生きていた彼らが、明治維新の8年前(1860年)、「万延元年遣米使節」としてワシントンへ出向いてホワイトハウスに足を踏み入れ、「選挙」で選ばれたというアメリカ大統領に初めて会ったのですから、その驚きはひとしおだったに違いありません。

 このとき、日本人使節に対応したのは、第15代のジェームズ・ブキャナン大統領でした。

 ちなみに、彼の次に着任したのが、「人民の、人民による、人民のための政治」で有名な、第16代・リンカーン大統領です。