そして、今日の大相撲危機の原因は「憲法9条や戦後教育によって、日本人が戦うことを否定され、戦いの歴史や意味を忘れてしまったところにあるような気がする」(『Hanada』2019年5月号)というから、大相撲が相撲道を回復するのは一朝一夕にできそうもない。

 皿木氏は「昭和の匂い」をもち「掌中の珠」となるはずであった稀勢の里が去り、「双葉山や栃若も大鵬もいない大相撲は、大きいだけで中身の薄い『ウドの大木』に思えてならない」と慨嘆してやまない。

おわりに

 白鵬は相撲界がどん底のとき、救った恩人という人もいる。またさまざまのスポーツを取材するライターの臼北信行氏は「横綱白鵬を開き直らせた「的外れ批判」の罪 外国人力士隆盛時代にルールにない日本の美徳を押し付ける無理」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58746)を公開している。

 日本相撲協会の周辺からは「白鵬の取り口に対する批判は、他の若手力士のだらしなさから目をそらすための逃げ道」との声も聞こえ、「若手たちの不甲斐なさを直視せず、ただ闇雲に白鵬の揚げ足を取ることに躍起になっている流れは実を言えばこれこそが相撲界にとって大きな問題」という。

 理のある反撃であろう。白鵬が横綱土俵入りで見せる姿は、優美で魅力満点である。その白鵬が取り組みの土俵では右ひじのサポーターをしてかち上げをする。そこの理解が得にくいのだ。

 相撲が始まる前日のインタビューで、白鵬は「1000」と「10」を直近の目標に練習を重ねてきたと語っていた。言わずもがなの横綱出場1000回の大金字塔である。

 前人未到どころか、後人不達でもあろう。遠大な記録の保持者が「悲劇の横綱」に終わるのは筆者の望むところではない。

 悪評の多くは、残された土俵人生をサポーターなしの素の姿で取りきることで大部は回復できるのではないだろうか。

 今のままでは現役としての記録があまりにかわいそうでならない。下手すれば、インチキ横綱と呼ばれかねない。そうあってはならないし、それを排除できるのは白鵬当人でしかない。