均整の取れた体格と恵まれた柔軟性で数々の記録を打ち立てているからである。

 なぜ評価が得られないのか。外国では「勝ち」がすべてで、負けに「価値」を見い出すしきたりはないかもしれないが、日本では「負の美学」とか「負けにも美徳がある」という言葉もある。

 相撲は基本的には勝ちを競うが、負けても真剣に取り組んだ力士には惜しみない拍手が沸き上がる。「負けの美学」であるが、他方で強い力士には「勝ち方」が求められてもいるということである。

白鵬から消えた言葉

 白鵬は大鵬の優勝記録を抜いたあたりから、双葉山や大鵬を盛んに口にし、理想の力士と崇めていたそうである。そして双葉山が69連勝でストップした時の電文「イマダモッケイタリエズ」や、大鵬の名を口にするようになったとも仄聞した。

 双葉山の土俵は「芸術品」の名がふさわしかったともいわれる。ある時、頭からぶつかってきた力士がはね返され、尻もちをつきそうになる。

 あまりにカッコ悪い負けになる(恥をかかせてはいけない)と見た双葉山は相手力士を抱え込み、改めて上手投げで転がしたというエピソードがある。

 ほとんどの日本人は朝青龍が活躍していた時までの白鵬に絶大な好意を寄せていた。朝青龍の暴れん坊姿に対して、白鵬は日本人以上の日本人らしく思える言動をしていたからである。

 ところが、朝青龍が去った後は白鵬の一人横綱の時代が続いたこともあってか、声望とは逆に取り組みや判定へのクレームなど土俵上の言動に加え、土俵外のインタビューや普段の生活でも暴力事件などもあり、問題視されるようになっていく。

 日本文化を理解する横綱、懸命に日本に溶け込もうとしている努力人、日本人以上の日本語をしゃべる外国人と称賛された声が聞かれなくなり、「ワレ未ダ木鶏ナラズ」や「後の先」を口にしていた白鵬はどこかへ消えてしまった。

 力士に求められる日本人的感覚、協会が謳う「相撲道」からのずれが、立ち合いばかりでなく、審判へのクレームや土俵外での白鵬の行動に目立ち始めたからであろう。

 横綱は日本国籍も取得し、親方として後輩育成の道を選ぶとも聞く。そうであるならば、相撲道の本旨というか、日本人的力士として締めくくってほしい。

飾ってほしい有終の美

 筆者の願いはただ一つである。それは、白鵬が右ひじのサポーターを外して相撲を取る姿である。

 これを「ポロレスのエルボースマッシュ」と受け取り、「横綱の品格がない。ああいうことをやる人は負けにした方がいい」(『文藝春秋』2015.4)といったのは元横綱・武蔵丸の武蔵川親方である。

 国技の相撲に関心が強い石原慎太郎氏は、かつて柏戸と大鵬(柏鵬時代と呼ばれた)が14勝で相見えた千秋楽で、柏戸が一方的な寄りきりで勝った取り組みを「八百長だ」を批判し問題となった。

 前4場所連続休場した柏戸が6場所連続で優勝してきた大鵬を一方的に下したからである。