ソ連と中共が黒幕だった「日本切腹中国介錯論」

 意外なことに、日本切腹の展開の引き金となった日中戦争は、国民党軍の犠牲と疲弊を招く「肉を切らせて骨を断つ」戦略であるゆえに、蔣介石自身が強く望んだことではなかった。

 事実、日中戦争を背後から煽ったソ連最高権力者ヨシフ・スターリン指揮下の国際共産主義運動の指導組織コミンテルン、その命令で動いた中国共産党が日本の敗戦後に漁夫の利を得ている。蔣の国民党政権は昭和24年(1949年)に敗北し、土地改革で農民(特に貧農)の支持を得た中国共産党が大陸部に新中国王朝を樹立したからだ。

 スターリンは昭和13年(1938年)2月、日中戦争に深入りを始めた日本を評して、「歴史はふざけることが好きだ。ときには歴史の進行を追い立てる鞭(むち)として、間抜けを選ぶ」と述べ、早くもソ連や米国の対日戦勝を予期していた。これよりさらに遡る大正9年(1920年)には、ソ連の初代最高指導者のウラジミール・レーニンが、「世界共産化を進めるため米国を利用して日本に対抗し、日米の対立を煽るべきだ」と主張している。

 加えて、米陸軍情報部と英情報機関が解読したソ連と米国内の暗号電文の集大成である「ヴェノナ文書」の公開により、ソ連・コミンテルンが米政権中枢に、フランクリン・ルーズベルト大統領の側近となったアルジャー・ヒスやハリー・デクスター・ホワイト財務省通貨調査局長(在米日本資産凍結の提案者、かつ悪名高い対日最後通告「ハル・ノート」の起草者)などの工作員を送り込み、さらに有力なキリスト教団体やヘレン・ケラーなど社会的信用があるリベラル派知識人を使って米世論を操作することで、日米開戦とソ連の対日参戦の流れを確実な形で作り出していったことも判明している。

 また、昭和12年(1937年)7月からの日本との戦いや、昭和21年(1946年)6月に本格化した国共内戦で疲弊した国民党政権を台湾に追い出し、大陸の漢人支配地域である「中華人民共和国」で覇者となった中国共産党の最高指導者である毛沢東は、昭和39年(1964年)7月に以下のように回想している。

「日本の資本家である南郷三郎氏は私に『申し訳ない、日本は中国を侵略した』と話した。私は『いいえ、もし日本帝国主義が大規模な侵略を起こし、中国の大半を占領しなかったら中国人民は団結して帝国主義に反抗することはできなかったし、中国共産党も勝利を得ることができなかった』と答えた。(中略)彼ら(日本)は蔣介石を弱めた。第二に、われわれは共産党が支配する根拠地と軍隊を発展させることができた」