効果が不確実な「情報」というツール

 他方、感染者の増加グラフを示し、国民に外出の自粛を要請するなど、いま最も使われているのは「情報」というツールだ。しかし、その効果や有効性は不確実である。誰が、どのようなメッセージを、誰に対して、どのような表現で、いかなるメディアを使って発信するか、それによって効果も異なるといえよう。

 メディアなどでは、発信者たる政治的リーダーは、明確に真実を伝え、それからロジカルに導かれる結論を正直に国民に対して述べるべきだ、としばしばいわれている。たしかに正論ではある。しかし、真実とは何か、その表現如何によっては、真実を知ることによって、国民がパニックに陥るようなケースもないとはいえない。

 また、冒頭の休業要請に従わないパチンコ店名の公表のケースにみられるように、情報提供は、場合によっては、一部の国民に期待とは逆の行動を促すこともある。それが、今回のような感染の抑制をめざす場合には、むしろリスクを高めることになりかねない。要するに、情報の受け手がどのように受けとめるかを充分に考慮して、コンテンツも方法もタイミングも決定しなければならない。

 なお、ここで店名の「公表」という方法について一言述べておくと、公表は法的な意味では罰ではないが、明らかに制裁効果を狙ったものである。ただし、その違反行為に対する抑止効果については、明らかではない。それが社会的制裁として、必要以上に違反者に厳しいダメージを与えることもあれば、違反者が多数いた場合など、制裁としての効果は弱い。昔あったフレーズを借りれば、まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」である。

 今回のコロナウイルス感染症への対策に関しては、わが国は他のロックダウンを行った国々と比べて、情報戦略がうまくいっているようにみえる。一定の効果を生んだ原因が、そもそも日本人は衛生的で手をよく洗うとか、政府の要請に従順に従う国民性があり、それに訴えたからだなど、根拠のない都合のよい言説も耳にするが、本当に、情報戦略が奏功したといえるか否かは、将来の評価をまたなければ分からない。

 ただ、社会科学が教える経験知によれば、国民性によって程度に違いはあるものの、その要請や指示が合理的なものであると判断すれば、多数の国民は、強制されなくてもそれに従うものだ。しかし、一部の逸脱者の存在を許すと、それまで要請によって自粛していた人たちも、要請やルールに従わなくなる。そうなると雪崩を打って「違法」状態が拡大しかねない。そのため、前述のように“伝家の宝刀”であれ、強制手段による担保が必要であるといわれてきた。