あらゆる宗教に見られる殉死。しかし命を進んで捨てる人は、他人の命を奪うハードルが低くなる傾向がある。また、死を自発的に選択する行為は、周囲の人びとを感化するという。宗教と“感化”の関係とは。ジャーナリストの池上彰氏と元外務省主任分析官の佐藤優氏が改めて「宗教」を問い直す。全2回、後編。(JBpress)
(※)本稿は『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』(池上彰・佐藤優共著、角川新書)より一部抜粋・再編集したものです。
(前編)北朝鮮とかつての日本、目を背けてはいけない類似性
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60181
仏教にもある危険性
池上彰氏(以下敬称略):仏教に関してですが、仏教の場合、内側、あるいはみずからに向けた暴力性が見られることがあります。例えばベトナム戦争中、南ベトナムで仏教徒たちがみずから焼身自殺をしました。
僧侶のティック・クアン・ドック師がゴ・ジン・ジエム政権下で自殺したことがよく知られますが、次々に僧侶が焼身自殺をし、自分を犠牲にすることで政権に対し異議を申し立てました。
そして現在中国に支配されているチベットでも、チベット仏教徒たちが中国政府に対し、軍事攻撃をするのではなく、焼身自殺する形での抗議が続いているという事実があります。
佐藤優氏(以下敬称略):「法輪功」のメンバーが天安門広場で焼身自殺を図った事件(2001年)もありました。
池上:そうですね。チベット僧の焼身自殺については以前、インドに亡命したダライ・ラマ14世に、亡命地のダラムサラで話を聞いたことがあります。
「こういうところで僧侶が焼身自殺することを、ダライ・ラマ法王は認めるのですか、認めないのですか」と尋ねたら、「一概にこれを否定することはできない」と答えるのです。
つまりチベット仏教において、火を放って自らを犠牲にすることでアピールするやり方はあり得ることだと言うわけです。「ただし、そのときの目的、意図が問題だ」と。「仮に恨みから、あるいは報復してやろうという目的で行なうのは、絶対にいけない。慈悲の立場からであれば、自らに火をつける行為も認められる」。こういう発言をするわけです。
ああ! 仏教というのも、ある意味では非常に危険な要素があるのだな。そういうことを含めた宗教理解が必要なのだな、と思ったわけです。