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 IS、テロリズム――宗教には暴力性が潜み、様々な問題を引き起こす。かつて日本でも戦前の国家神道は、きわめて暴力性を帯びたものだったという。日本では、宗教と暴力はどのような関係にあったのか。ジャーナリストの池上彰氏と元外務省主任分析官の佐藤優氏が改めて「宗教」を問い直す。全2回、前編。(JBpress)

(※)本稿は『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』(池上彰・佐藤優共著、角川新書)より一部抜粋・再編集したものです。

宗教と暴力

池上彰氏(以下敬称略):おそらく一般的には「宗教と暴力」と聞くと、物理的な、それこそ殺されるのではないかという意味での「暴力」のイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。ですから取りあえず、マハトかゲバルトかで言えば、ゲバルトを意味する「暴力」に限定して話を進めましょう。

佐藤優氏(以下敬称略):はい。取りあえずそこに限定しましょう。限定することによって、その外側へのイメージも広がっていきますからね。

池上:やはり「宗教と暴力」というと、多くの人は、例えばIS(自称「イスラム国」)とはいったい何なのだろう、と考えると思うのです。ですから、まずはそこから話を始めようと思います。