ただ地方創生という面を厳密に見れば、また違う姿も見えてきます。文化庁が移転する京都市は、首都・東京からみれば「地方」かもしれませんが、十分な大都会です。「地方創生」という意味合いは、あまり生じません。逆に言えば、そうであるがゆえに職員の抵抗も小さく、消費者庁の徳島移転のように頓挫しなかったとも言えます。文化庁の京都移転による効果は地方創生の観点からは中途半端です。
「地方創生」は2014年から安倍内閣がスタートさせ頑張ってはいますが、目覚ましい進展は正直見えていません。しかし首都機能の一部を、地方に移せば、これも大きく前進させることができます。これらの面から考えても、「首都機能移転」は現在の日本が抱える課題の多くを、大きく解決に向かわせる強力な起爆剤になり得るものだと思うのです。
首都機能移転を実現困難にするもの
ところが現実には、首都機能移転というのは「言うは易し」で、実際に実行するのは途方もない困難が伴います。
首都機能の移転がどれくらい難しいのかは歴史を紐解くと良く分かります。1990年に、国会等の移転に関する決議が参議院と衆議院の両院でなされ、92年には「国会等の移転に関する法律」が成立しています。
この法律は第一条でこう謳っています。
<国は、国会並びにその活動に関連する行政に関する機能及び司法に関する機能のうち中枢的なものの東京圏以外の地域への移転の具体化に向けて積極的な検討を行う責務を有する>
こうした法律の場合、「国は、検討するよう努めなければならない」などの「努力規定」にとどめておくことが多いのですが、このように「国は積極的な検討を行う責務を有する」というのは、国に対して相当厳しく注文を付けていると言えます。
法律成立の3年後となる95年には、年明け早々に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が発生しました。上記の「東日本大震災と新型コロナウイルス感染拡大」とパラレルに理解できますが、リスク回避・分散のため、ここで首都機能移転の機運はさらに高まりました。
そして99年に総理の諮問機関として「国会等移転審議会」が発足し、そこで先述の3地域が選ばれました。
このように、法律ができて、総理の諮問機関が候補地を選定した。にもかかわらず、現在に至るまで、「国会等の移転」は実現していません。いったい、何が障害になっているのでしょうか?
1つには、そこで働いている職員の意識です。そもそも役所で働いている職員にしてみると、「移転なんて勘弁してくれ」というのが現実です。実は私は官僚時代、特許庁に出向していた時期がありました。世紀の変わり目の2000年のことです。ちょうど当時、「特許庁を沖縄に」という議論が少しだけ浮上していました。ところが周囲の職員の反応を眺めていると、ほとんどが「特許庁に入ったら、転勤もなく、ずっと東京勤務だ。そう思ってこれまで働いてきたのに、なぜ急に沖縄なんだ」というネガティブなものばかりでした。