「職員はファミリー。フルネームを覚え、笑顔で接しろ」

 この故郷創世塾は2007年に始まった。5月と11月の年に2回開催される。これまでの塾生は1000人を超えた。卒塾生の中には、首長もいる。若手に交じり、同じように黄色い法被を着て講義を受ける。

 そのうちの1人が奈良県・十津川村村長の更谷慈禧だ。2011年に水害に見舞われた。台風12号の影響で、土砂崩れや川の氾濫が起きた。その結果、死者6人、不明者6人の大惨事となった。

「豊重塾長には大いに勉強させてもらい、その後の村づくりで役立ちました。我々もついつい、県や国に頼ってきたけれど、自分にできることは自分でやらなければならないということを再認識しました」

 更谷はそう成果を語るが、首長といっても特別扱いではなかった。役場の職員全員の名前を覚えているかと質問され、更谷は、すべては覚えていないと返事した。すると、豊重から大目玉をくらった。

「職員全員はファミリーだ。大事なのはフルネームを覚えることと笑顔で接することだ」

 創世塾での経験が、のちに起きた水害からの復興に大いに役立った。

 十津川村は「日本一広い村」として知られるが、「住民がそれぞれ何をすべきか考えた。〈やねだん〉のようにコミュニティーが一致団結しました。故郷創世塾で学んだ経験が生かされました」と更谷は語る。

 復興はまさしく「やねだん」流だった。仮設住宅はプレハブではなく、あえて、村の木材で建設した。この村の面積の96%は山林である。そして、その住宅を作ったのも、地元の大工だ。「木材」も、「大工」もいわば十津川村にある“財産”である。「それぞれの地域の財産を利用しろ」という豊重の教えに沿った形だ。さらに、十津川村では、木材の付加価値をつけるため、家具の製造なども行っている。「原木を売るだけでなしに、机も住宅も、加工から製品化までして十津川の木を売り出す」という。自分で稼ぐ、「やねだん」流を導入したのだ。

「先人が残してくれた森林という資源が足元には眠っていたのです。水害になっても、少しでも被害を少なくするためには、山を放置してはいけないと痛感しました。村では『山を守ろう』という考えが浸透しました」