韓国ソウルにあるロッテ百貨店(筆者撮影)

 2020年1月19日、日韓をまたにかけて事業を展開したロッテグループ創業者の重光武雄(辛格浩=シン・ギョクホ=1921年生)ロッテグループ名誉会長が死去した。

 韓国の高度経済成長を牽引した韓国財閥の創業者がすべて世を去ったことになる。

 日本との関係を重視して資金や技術導入に熱心だった創業世代の退場は、韓国の産業界での「日本は遠くなりにけり」の雰囲気の象徴でもある。

 重光武雄氏は、日本と韓国という国の大変革期で2度の機会をつかんだ企業人だった。

 韓国出身の重光武雄氏は、1942年に成功を夢見て日本に渡る。

 1945年に日本の植民地支配が終わっても日本に残って事業の機会を探る。いろいろな事業を手がけたが大ヒットしたのがチューインガムだ。

進駐軍を見てガム事業に

 米国の進駐軍兵士が日本の子供たちにガムを与えるのを見てヒントを得たという。「風船ガム」はブームとなり、続いてチョコレートでも成功する。

 戦後の日本で、子供たちがお菓子を熱望していた時期に最初の成功をつかんだ。

 ガムとチョコレートで成功の基盤を築いたが、それだけでは満足しなかった。

 1961年に朴正熙(パク・チョンヒ=1917年~1979年)氏が政権をつかむと祖国での機会をうかがう。