亡くなった大宇グループの創業者・金宇中氏(2005年撮影、写真:AP/アフロ)

 韓国の12月は寒い。体調を崩す時期で、韓国の経済記者に会うと「あの人が危ない」という話が出る時期になった。

 そんな中で2019年12月9日、かつて韓国を代表す財閥だった大宇(デウ)の創業者である金宇中(キム・ウジュン=1936年12月17日生まれ)氏が死去した。波乱万丈の人生だった。

 韓国企業の成功のキーワードは「スピード」だ。

 サムスンもLGも、現代も日本企業をはるかに上回るスピードで成長をした。しかし、大宇ほど猛スピードで成功と転落を駆け抜けた例もないかもしれない。

猛スピードで成功と破綻を駆け抜ける

 金宇中氏が、韓国随一の名門高校だった京幾(キョンギ)高校から延世大学経済学科に進み会社員生活を経て「起業」したのは満30歳だった1967年。社名は、大宇実業だった。

 資本金500万ウォン(現在のレートは1円=11ウォン)、従業員5人で事務所は10坪(約33.33平方メートル)だった。

 衣料品を東南アジアに輸出して成功し、設立5年目には韓国を代表する輸出商社になっていた。

 貿易で稼いだ資金で1970年代に事業多角化に乗り出す。韓国の財閥の典型的な拡大パターンだが、現代やサムスンに比べて「後発」だった大宇は活発なM&Aで一気に事業を拡大させた。

 1973年に建設会社を買収して大宇建設としたほか、家電、造船、機械関連企業を次々と買収または設立した。1978年にはセハン自動車を買収して自動車事業にも進出した。

 1970年代にこうした多角化で大宇は韓国の5大財閥の仲間入りをした。