(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
1月13日は、江戸幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」が、アメリカへ向けて品川を発った出港記念日です。
今からちょうど160年前、1860年(安政7)の出来事です。
この艦には、軍艦奉行・木村摂津守、教授方頭取・勝麟太郎(勝海舟)、福沢諭吉や中浜万次郎(ジョン万次郎)といった日本人96名のほか、11名のアメリカ人が乗り込んでいました。
日本の艦として初めて太平洋の横断に成功し、サンフランシスコ港にたどり着いたことで知られています。
実は、「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」が記した『訪米日記』の中には、咸臨丸に関する記述がたびたび登場します。
この連載の中で何度も触れていますが、佐野自身は咸臨丸が出港した5日後、アメリカの軍艦「ポーハタン号」に乗り込んで江戸を発ち、ほぼ同じ航路で太平洋を横断。約2カ月後、サンフランシスコで咸臨丸の乗組員らと対面していたのです。
遣米使節の「護衛」と「遠洋実習」を兼ねた咸臨丸の航海
では、咸臨丸はなぜポーハタン号と時期を同じくしてアメリカに渡ったのか・・・。
この事実については、さまざまな書籍やサイトで、今も誤った情報が散見されるので、まずは正しいいきさつを説明しておきましょう。