文学部の建物は正門を入って右手にあり、そこで同学部の様々な学科の学生たちが勉強している。エジプト人の他、サウジアラビア、バーレーン、UAE、リビア、スーダンといったアラビア語圏の学生がほとんどなので、日本人女子学生でベールも着用していない小池氏は相当目立ったはずだ。

 しかし、小池氏が卒業したという1976年にカイロ大学文学部(歴史学科)を卒業し、現在もカイロに住んでいるアーデル・ハナフィ氏は「文学部アラビア語学科を卒業したサダト大統領夫人はしょっちゅう大学内で会ったが、小池氏は見たことがない」と言う。小池氏とカイロ大学で重なっている日本人卒業生も「(自分とはわずかの期間しか重なっていない)小笠原良治氏とはしょっちゅう大学内で会ったが、(かなり長い期間重なっている)小池氏とは1、2回しか会ったことがない」と話す。

小池氏以外の日本人は5~7年かけて卒業

 カイロ大学の学部レベルでは、小池氏を除いて5人の日本人卒業生が1970年代と80年代にいることが分かっている。いずれも相当な勉強をし、5年から7年かけて卒業した人々だ。

 その中の1人、1973年に文学部アラビア語学科を卒業した小笠原良治氏はカイロで3年アラビア語を勉強した後、7年かけて文学部アラビア語学科を卒業した人で、『ジャーヒリーヤ詩の世界』というアラブ人でも書けないような専門的な著作がある。筆者もアジア・アフリカ語学院(社会人コース)で小笠原氏からアラビア語を教わったが、美しく、格調高い正則アラビア語を話す人である。

 もう1人の齊藤力二朗氏は、7年程度をかけてカイロ大学史跡学部を1976年に卒業後、ロンドンのポリグロット(有名な語学学校)でアラビア語を教え、最近までアラビア語でブログを書いていた。

 1970年代に在籍したアシュラフ安井氏(学部は不明だが、卒業生の1人は教育関係ではなかったかと言う)は目が悪い人で、アラビア語の本に顔をくっ付けるようにして読み、アラビア語は相当できる人だったと卒業生の1人は話す。帰国後はアジア・アフリカ語学院などでアラビア語を教えていた。

 以上の3人はいずれもイスラム教徒で、7年程度をかけて卒業している(安井氏については確認できていないが、卒業生によるとかなり長い期間在籍していたという)。

 このほか政経学部を1978年に卒業した沢田直彦氏(元三菱商事)と1981に卒業した鈴木規之氏(元三菱東京UFJ銀行)がいる。2人とも一度落第し、5年かけて卒業している(5年で卒業できたというのは、日本人としてかなりすごいことである)。筆者が取材した卒業生は一様に「勉強は大変だった」「しんどかった」と語っていたのが印象的だった。4年で卒業したという小池氏は、彼ら以上の努力をしていたのだろうか。

(続く)