とはいえ、独身が義務の聖職者による少年の性的虐待(これは人権侵害以外の何物でもない!)や、バチカン銀行によるマネーロンダリング問題など、さまざまな問題が噴出しており、対応に追われている。前任者のベネディクト16世が「生前退位」したのは、問題解決に耐えられる気力と体力が失せてしまったからだという。

 教皇フランシスコによるバチカン改革はその文脈で捉えなくてはならない。中国共産党による一党独裁下のカトリック教会のあり方も、バチカンにとって解決すべき多くの課題の1つなのである。フランシスコはイデオロギーで動く人ではなく、現実的で柔軟な思考の持ち主であるようだ。中国共産党に対する姿勢も、その線で理解すべきであろう。

中国でのカトリック宣教を主導したイエズス会

 ここで、中国におけるキリスト教、とくに16世紀以来イエズス会が先導したカトリックの宣教について簡単に見ておこう。というのは、イエズス会出身の教皇フランシスコの中国観に少なからぬ影響を与えている可能性があるからだ。

 イエズス会による中国宣教は、ある意味では日本宣教において成功したモデルのバージョンアップともいえるものであった。イエズス会は、当時すでに高度文明国であった日本での宣教にあたっては、原理原則は維持しながらも現地の状況に合わせたローカリゼーション、あるいは異文化マネジメントともいうべき手法を採用した。この手法は、現在では「インカルチュレーション」と呼ばれ、カトリック宣教において全面的に採用されている。

 中国で採用されたバージョンアップ版の手法とは以下のようなものだ。東アジア全域での宣教を監督する立場にあり、「天正遣欧少年使節」を日本からローマに派遣したヴァリニャーノとおなじイタリア出身のマッテオ・リッチは、彼のアドバイスにもとづき、知識階層の心をつかむために儒者としての漢字漢文の高度な教養を身につけ、自らの完全な中国人化を実行した。

儒者の姿をしたイエズス会士マッテオ・リッチ(出所:Wikipedia

 その後、リッチにつづいた宣教師たちは、とくに暦作成に不可欠な天文学や科学技術の知識をもって歴代皇帝の心をつかみ、布教の許可を得ることに成功する。中国でカトリックのことを「天主教」というのは、神のことを漢字で「天主」と表現することに落ち着いたからだ。

 しかしながら、日本だけでなく中国においても、後発組のフランシスコ会やドミニコ会が問題を引き起こす事態が発生した。後発組は、イエズス会がローカルな事情を重視しすぎるとして攻撃し、バチカンに上訴する事態に至ったのである。焦点となったのは、祖先祭祀にかかわるものだ。中国に限らず、日本を含めて東アジア共通の祖先祭祀とキリスト教信仰が両立することを可能としたイエズス会に対し、後発組はキリスト教を逸脱するとして全面否定したのである。これを「典礼問題」という。最終的にバチカンは、キリスト教徒が祖先祭祀を行うことを禁止する。この措置に怒った康熙帝は、西欧の最新知識を備えた宣教師の滞在は認めたが、中国でのキリスト教布教は禁止するに至った。