本当に読むに値する「おすすめ本」を紹介する書評サイト「HONZ」から選りすぐりの記事をお届けします。

(文:新井 文月)

 先日、現代アートのコレクター会に参加した。特に予備知識も無く参加してみたら、これがとにかく面白い。

 例えば多摩美術大学の先輩(50代)であるアートコレクターに、何故この作品を購入したのですか?と聞くと、「これは一見、絵の構成に思えるけど写真なんですよ。見たことない画面でしょう」と言う。なるほど、一見それは抽象画のようだが、近づいて見ると実はNASAの建物であり、窓と壁はうまくトリミングされモンドリアンのような平面構成の抽象画に見える写真だった。

 同様に他の女性コレクターにも、なぜ作品を購入したのか理由を聞いてみると「黄色がカッコよかったから!」とキャンバス一面が黄色で塗られている作品を嬉しそうに解説してくれた。他にも「これは一発描きで、ビシッと決まっていたから」などと、皆が嬉しそうに他の人に対しても同じ熱量で何度も語っていた。

 それぞれ誰もが嬉しそうに語るので、見ているこちらまで嬉しくなった。その空間は例えるなら秋葉原だろうか。自分が好きなことをは堂々と好きといえる、誰にも侵害されない空間。そんなエネルギーに溢れていた。

「カッコいい」の要素を分類

 本書の著者は芥川賞の受賞作家だ。長く不明瞭だった「カッコいい」という言葉の正体を文献と実例に基づいて暴いている。そもそも「カッコいい」という言葉自体が広く使われるようになったのは、メディアが普及した1960年代以降だという。語源の「恰好が良い」から始まり、それは「対象そのものが、そのジャンルの理想像と合致する」といった意味で用いられていた。今ではその言葉自体が発展し、「カッコいい」はジャンルを超越した理想像を示す言葉になっている。

 著者はこの「カッコいい」の要素を、魅力的/非日常性/共感体験などに分類・考察している。その文体は骨のあるカルチュラル・スタディーだ。しかし本書を手にとる前から、私も疑問があった。そもそも「カッコいい」という感覚は、いくら文章で明記されても納得しうるものだろうか? 説明できる言葉は文化として育っていないのではないか? しかし、それらの疑問に対する解答は腑に落ちる形で存在した。著者は特に「しびれる」という体感を伴う興奮にフォーカスしているのだ。