――そういう仏教の考え方からすると、安楽死は命や自分というものが「私のもの」であるという前提で、私に主導権、選択権があるという感じがしますね。

古山 インドの出家者の戒律には「人を殺してはいけない」という項目があります。お釈迦様はある出来事をきっかけに、直接手を下す殺人だけではなく、死にたいと言ってきた人に「それは無理もない、死んだ方が楽でしょう」と言ってしまうことも殺人に当たると追加しました。

 約2600年前のインドでのことです。刑罰によって手足を切断された子どもの両親が、「かわいそうで見るに忍びない、どうしたらいいでしょう」と釈迦の弟子に尋ねました。その弟子は、「子どももあなたたちもつらいのだから、いっそ殺してはどうか」とアドバイスしてしまったのです。そして、その両親は自らの手で我が子を死なせてしまいました。その話を耳にしたお釈迦様は、弟子を呼び出して皆の前で厳しく叱り、今後は殺人と同等の処分を下すと言い渡しました。

 私は、現代の安楽死もその戒律に含まれるのではないかと思います。一般の人たちの心情、苦悩はわかるけれども、仏教者としては「では楽になりましょうね」とは口が裂けても言えません。

宇野全智氏(以下、宇野) 僧侶が人を殺してはいけないというのは、人の修行の機会を奪うからということでもあります。

曹洞宗総合研究センター専任研究員 宇野全智氏(撮影:URARA)

古山 それもありますが、悲惨な状況であってもその子の命はその子ものではない、ましてや他人のものではない。家族がどうこうできるものではないからだと思います。