一方で盧武鉉氏は、日本に対しては正反対の行動を取った。竹島の問題を、領土問題から歴史問題にすり替えてしまった大統領である。盧武鉉氏は2006年4月25日、竹島を巡って「特別談話」を発表し、「独島(竹島の韓国名)はわが領土だ。特別な歴史的意味を持つわが領土だ。日本が韓半島侵奪の過程で、日ロ戦争の遂行を目的に編入した。日本が独島に対する権利を主張するのは、植民地の領土権を主張することだ」と日本を非難したのだ。

 そもそも、竹島は日本の固有の領土であり、これが領土問題となったのは、李承晩大統領が「李承晩ライン」を公海上に引き、竹島を韓国領としたからだ。日韓はその後、それぞれに領有権を主張してきた。しかし、盧武鉉政権以降は様相が一変した。韓国が竹島を歴史問題として扱うようになったため、日本の領有権主張に対して極めて感情的に反応するようになってしまったのだ。そのため日韓関係が悪化するたびに、李明博大統領(当時)はじめ多くの政治家が竹島に上陸し、日本への抗議を示す場として機能するようにまでなってしまった。

 しかし、韓国の人々にはよく考えてもらいたい。中国による「中国の土地で展開された高句麗は中国の歴史」との主張は悪質である。将来、韓国を属国化しようという意図が見え隠れしている。ところが、韓国は中国に対しては毅然とした対応を取れていない。一方で、竹島について日本がいくら正当な領土主張をしても、猛烈なバッシングを繰り返してくる。韓国の「領土」に関わる問題への対応が、日本と中国との間でこれだけ違いがあるのはどういうわけなのか。

朝鮮戦争に介入、南北分断を固定化した中国

 1950年6月に北朝鮮人民軍が韓国に侵略、一時は釜山に迫るなど韓国は劣勢だったが、国連軍の仁川上陸作戦により形成は逆転、国連軍は鴨緑江に達した。そこで北朝鮮側に加わったのが中国だ。中国共産党は、人民解放軍兵士を義勇兵扱いにし「人民志願軍」として参戦、前線に投入された部隊だけで20万人、後方待機部隊を含めると100万人がこれに加わった。

 朝鮮戦争は全土が戦場となったため、一般の市民も多数犠牲になり、その数は北朝鮮側で250万人、韓国側で133万人とも言われている。戦況は、中国の介入により38度線付近で膠着状態となり、南北分断が固定化することになった。これが南北分断の始まりとなる。

 韓国は、日本が韓国を36年間植民地化したとして、今でも事あるたびに歴史問題を持ち出す。しかも、日韓国交正常化の際に解決済みの問題も新たに持ち出し、慰謝料を請求してくる。そればかりか、日本がこれまで何度も日韓の歴史について反省と謝罪を述べたにもかかわらず、それでは不十分だという。

 それでは、韓国は中国の朝鮮戦争介入を問題視したことはあるのか。反省と謝罪を求めたことはあるのか。南北分断をもたらした中国に対し、北朝鮮への一方的肩入れを非難したことはあるのか。北朝鮮に対し、韓国侵略を謝罪させなくていいのか。

 日本の韓国併合を弁護するつもりはない。しかし、日本は戦後、韓国の発展のために多大な協力をしてきた。こうした歴史を韓国が理解することによって、日本を見る目も変わって来よう。そろそろ、日韓の関係も見直す時が来ている。

秀吉の朝鮮出兵より残酷な元の高麗王朝抹殺

 モンゴル帝国は1231年から1273年にわたり、繰り返し高麗王朝を攻撃した。主要な戦いだけでも6度に及んでいる。そしてその後80年間、モンゴルの元王朝が朝鮮を支配した。

 日本からは豊臣秀吉による二度の朝鮮出兵があった(「文禄の役」1592~1593年、「慶長の役」1597~1598年)。韓国ではこれを現在でも「日本の韓国侵略」として非難し、先般のG20サミットの際も、豊臣家の居城・大阪城前での記念写真に異議を述べるほどだった。当時の朝鮮の人々が秀吉の出兵で苦しめられたのは間違いないが、元の朝鮮支配ははるかに残酷を極めた。また元寇という日本侵攻の際には、元軍の先兵をさせられ、多くの人命が失われている。にもかかわらず、秀吉=日本への批判に比べ、元=中国への批判は極めて小さいと言わざるを得ない。