5月にはジャカルタに近い西ジャワ州ブカシ県でヒンズー教徒の住民が近隣にないヒンズー寺院の建設計画を明らかにすると、白装束に身を固めたイスラム教徒が建設予定地に押しかけて「我々の聖地を汚すな」などと反対運動を展開した。
地元紙報道等によると、押しかけてきたイスラム教徒はヒンズー教の住民と仲良く暮らしている同じ地域のイスラム教徒ではなく、ジャカルタや他の地域から駆けつけた「見たこともない人々だった」という。
インドネシアではイスラム教徒の重要な宗教行事である約1カ月に渡る断食(ラマダン)の期間中、ジャカルタなどの都市にあるカラオケ、ディスコ、バーなどの女性を伴う飲酒可能な夜間営業の店舗に対し、白装束のイスラム教徒が大挙して押しかけ「ラマダンの聖なる期間中の営業は中止して、イスラム教徒に敬意を払え」と恫喝するケースが多かった。店側が抵抗でもすれば施設を破壊し、時に従業員に暴力を振るうこともあり、ここ数年は店側が自主閉店で対応するようになった。
民族的少数者の置かれた過酷な状況
インドネシアの東端、ニューギニア島の西半分を占めるパプア州は最も開発の遅れた地域とされている。同州はしかし豊富な天然資源に恵まれ、資源開発に関しては米資本などによる大手も参入して大規模開発が続いている。
もっともその陰では、産出した資源による利益還元を巡る地元パプア人の不満や、ジャワ島などからの移民政策で「非パプア化」が進むことへの不安を背景にした「独立を求める武装闘争」が続いている。これは、パプアの人々が置かれた過酷で差別的な状況の裏返しなのだ。
6月6日にはパプア州メラウケで酒に酔った警察官が住民のパプア人を射殺する事件も起きている。同地ではこの1カ月に6人の無辜のパプア人が警察官の不法発砲で殺害されているという。
高地山間部などに居住するパプア人は伝統的衣装である「鳥の羽を頭部につけ鼻輪や耳輪で飾り、女性は腰蓑だけ、男性はコテカと呼ばれるペニスサックだけ」といういで立ちがインドンネシアでは「未開の象徴」としてしばしば揶揄的に取り上げられる。
暗黙のイスラム優先という実態
こうした枚挙に暇のない事例の多くは、多数派イスラム教徒による「ごり押し、価値観の押し付け、不寛容」という現象と言える。有力英字紙「ジャカルタ・ポスト」は5月11日紙面で「不寛容という名の危機」という見出しの社説を掲げ、インドネシア社会で静かにしかし確実に広がりつつある「不寛容、つまり異なる他者への理解、思い遣りというインドネシア人の素晴らしさが消えかけている」ということへの危機感を指摘して警鐘を鳴らした。
そもそもイスラム教徒が圧倒的多数を占めながらもマレーシアやブルネイなどの他のASEAN国と一線を画し「イスラム教、キリスト教、仏教、ヒンズー教、儒教」を認める国家方針を打ち立てたのは建国の父スカルノ初代大統領である。
その心には約300の民族、約580の異なる言語と文化を背景にした多種多様な国民が存在するインドネシアが統一国家としてまとまるために「パンチャシラ」「多様性の中の統一」「寛容」を掲げ、共通のアイデンティティーに基づく国造りを目指したのだった。
インドネシアが独立以来、内包してきた「同じことの価値観」と、今回の大統領選で図らずも顕在化した「違うことの価値観」の相克が今、大多数のイスラム教徒、最大多数派のジャワ人などという「数の多さ」という基準、尺度で計られようとしていることに「揺れ動く価値観、アイデンティティー」の根源が潜んでいる。
国是を「イスラム教徒によるイスラム教徒への寛容」、「イスラム教徒の中の多様性」、「イスラム教徒による統一」、「イスラム教徒に対する社会正義」などと読み替え、解釈することでイスラム優先の社会の実現を目指すのかどうかを問うたのが今回の大統領選のもう一つの焦点だった。
言い換えると、イスラム穏健派や非イスラム教徒が支持したジョコ・ウィドド大統領は宗教間や社会階層の分断化を最小限に留め「インドネシア国民の間にはこんなに同じ共通点がある」と主張したのに対し、対抗馬の元国軍幹部であり、イスラム急進派、保守派の支持を得たプラボウォ氏は社会の分断をより明確に示すことで「国民の間にはこんなに違いが存在することを認識しよう」と呼びかけたのだった。
大統領選で投票した有権者の辛うじてではあるが過半数の55.5%が「分断の溝を狭め、違いよりは共通点を認め合うことを優先する」大統領候補を選択したことは、まだインドネシアの建国の精神の健全さが失われていないことの証であり、その将来に悲観する必要はないと内外に示すことができたとも言えるだろう。一方でそれに反対した人々が44.5%も存在したことの意味もまた小さくない。
そうした大統領選で国民が示したそれぞれの思いをジョコ・ウィドド大統領はしっかりと受け止め、分断を狭めながら「分断から和解への政治」を任期となる今後5年間を通じて実現していくことが最大の課題となる。