もう一つ、特捜検察を相手に無罪を勝ち取るためには、世論を味方につけることが必要です。裁判官も人間なのですから、村木さんや長銀・日債銀事件の被告人、あるいは、私が無実なことは裁判を通じて十分分かったはずです。しかし、現在の刑事訴訟法上、検察官の有罪論告に反して無罪判決を書くためには、裁判に証拠提出された膨大な検面調書(検察官による取調べ調書)をすべて否定しなければならず、それは技術的に至難の業なのです。残念なことに、裁判官が、証拠通りの無罪判決を書くためには、強い世論の追い風が必要です。

「ゴーン氏無罪」で始まる特捜検察の解体

 長銀・日債銀事件の最高裁逆転無罪判決は、「不良債権の張本人が公訴時効となる中で、後始末をやらされた経営陣が有罪というのはかわいそう」という圧倒的な国民世論の支持を背景として出されました。私の裁判では、これがありませんでした。キャッツから渡されていた1000万円という報酬について、「粉飾決算を指導した見返りにもらった1000万円」という検察側が作ったストーリーが社会に浸透していたからです。

 しかし、公認会計士とは、そもそも企業から金を貰って監査をすることを職業としているのであり、私の場合は、結局その金を貰わずキャッツの経営陣に返しているのです。この金がキャッツの決算と関係がないことは、貰った現金に巻かれていた銀行の帯封番号を照会すればすぐ分かります。しかし、私の弁護団は、一審で帯封番号の銀行照会を行いませんでした。私は、これに抗議し、高裁で銀行照会を行いましたが、すでに時遅しで、「カネに汚い悪徳会計士」という一審の印象を払拭することはできませんでした。弁護側は、一審の事実審で被告人主張に対する社会の支持を得ておくべきでしょう。

 最近は、ライザップ・グループの「負ののれん」問題を指摘、同グループの経営の問題点を指摘し大きな反響を呼んだ。また日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の事件についても、会計知識を武器に、検察捜査の問題点を鋭く指摘、「ゴーン氏は特別背任には当たらない」との主張を展開している。そのゴーン事件も本書のテーマとなっている。

 自分が裁判で有罪になってしまった原因がいまごろ分かっても、私の「有罪」は消えません。しかし、その原因を追究したおかげで、「犯罪会計学」もできましたし、企業の有価証券報告書の数字を入力するだけでその企業の経営危機度を分析できるシステム「フロードシューター」も完成させることが出来ました。

 犯罪会計学とフロードシューターがあるからこそ、日産ゴーン事件やライザップの経営も明解に分析できるのです。おかげで「会計評論家」としてさまざまなメディアで取り上げられるようになりました。裁判では無罪は勝ち取れませんでしたが、実質的に私の名誉は回復できているように思います。

 本書の冒頭に「復讐するは我にあり」という聖書の言葉を引用しました。「自ら復讐してはならない、復讐は神に任せなさい」という意味です。今の私もそんな心境です。

 犯罪会計学による分析によれば、カルロス・ゴーン氏は完全に無実です。そして弁護人は弘中惇一郎弁護士。ゴーン氏が無罪を勝ち取ることができれば、特捜検察は今度こそ本当に解体となるでしょう。時を経て、神による復讐の時がやってきたのではないでしょうか。

(談)