(崔 碩栄:ノンフィクション・ライター)
韓国の学校では、春か秋に「運動会」が開催される。日本のそれとは少し違う雰囲気ではあるが、大まかな流れや形式は似たようなものだ。韓国の運動会は日本統治期に行われていた体育大会の流れを汲み、あるいは影響を受けたものだと言われている。近代以前の韓国にも教育施設はあったが、スポーツをする行事はなく、そもそも、儒教中心の教育体制下にあった朝鮮の支配階層の人々は身体を動かすような体育活動にはほとんど関心がなかったのだ。
19世紀末、韓国に入ってきた西洋人、西洋の宣教師たちが普及に努めた近代スポーツをみても当時の支配層たちは「力を使うことは下々の者がやること」という評価していたのである。だが日本統治のもとで体育活動は教育の一部であるという認識が広まり、保護者と児童、そして地域の人々が一緒に楽しむことのできる運動会は韓国においても一つの「祝祭」となったのである。
日本の歌と反日曲が共存していた80年代の「応援合戦」
韓国の運動会を少し覗いてみれば、日本の影響が少なからずそこにあることを確信するはずだ。児童を二つのチームに分ける場合、日本では多くの場合赤組と白組に分ける。これに関しては日の丸を連想させると、韓国では青組と白組に変えられている。
だが、競技種目については大玉転がし、騎馬戦、障害物競走、綱引き、玉入れ、リレー走など日本の運動会で見られる風景とほとんど同じだ。各競技の優秀者にはノートや鉛筆などが賞品として渡されるという風景もまた、日帝時代に導入され、普及した風景だ。
「日本の残滓」(遺産)の清算運動を繰り広げ、日本文化と聞けばアレルギー反応を示す韓国人だが、実は日本の残滓の影響下の中で育ってきたというのはアイロニーというより他はない。