モンゴル平原で暮らす現代の遊牧民

 人類の発達に思いを巡らす場合、「文明は定住民によって作られる」と考えている人がいるとしたら、それは大きな誤解をしていることになります。たとえば、太平洋の島々を移動していた人々は、海を結びつけた「文明」を築いたと言えます。つまり、移動し続ける人々も独自の文明を育み、それが周囲の定住民の文明に大きな影響を与えてきたのです。

 太平洋の例のように、海によって結び付けられていた人々より、明らかに文明の構築に貢献した「移動する民」がいました。現在、「遊牧民」と呼ばれる人々です。彼ら自身、一般に理解されているよりずっと高度な文明を築き、そして周囲の文明圏に大きな影響を与えてきたのです。

遊牧民の起源

 例えば、世界史における遊牧民の重要性を強く提唱した人物の一人に、京都大学名誉教授でモンゴル史の研究で名高い杉山正明氏がいます。杉山氏は、「広大な大地を移動しながら生活していた遊牧民のおかげで、点在していた文明圏は各々孤立することをまぬがれ、広がりを可能にした。彼らがいたからこそ、文明が世界に広がっていった」としています。

 現在の歴史学界では、このような考え方は広く受け入れられつつあります。むしろ、遊牧民の貢献を考慮に入れない世界史を考えることは不可能です。

 さて、われわれ日本人が「一番馴染み深い遊牧民は」と聞かれれば、恐らく「モンゴル人」と答える人が多いのではないかと思います。彼らが築いたモンゴル帝国は、ユーラシア大陸にまたがる大帝国でした。

 しかし遊牧民族の歴史は、彼らが登場するはるか前から続いていました。では、最初の遊牧民はどんな人たちだったのでしょうか。それを知るために、まずは遊牧民が登場する背景について探っていきましょう。

 前3000年頃に、黒海北岸からカスピ海北岸にかけての地域で、気候変動により乾燥化が始まりました。それによりこの地域の広葉樹林が草原地帯へと変化していきます。すると、人々は農耕生活よりも家畜――羊や山羊、牛、馬など――とともに草を追って移動する放牧生活を選択するようになりました。現在の研究では、この地域の気候変動が「遊牧民誕生」の大きな契機だったと考えられています。

 それから少し時代が下がった前2000年ごろから前1700年ごろにかけて、ウラル山脈からカザフスタンにかけての草原地帯で、二輪戦車に乗ったインド=ヨーロッパ語族の軍団が、南方を脅かしたという説もあります。二輪戦車とは、戦闘用の馬車のことです。この頃は、馬具や騎乗の技術が発達しておらず、人間が馬に直接乗るのは困難でした。それ以前は、戦闘に馬を利用する場合には、左右に車輪がついた馬車を馬に引かせる形をとっていました。